今日も今日とて、昭和だ、平成だ、令和だ、という文字を見かけた。主にネットでの話で、どうにもこの区分に慣れないまま生きている。お前も若くはないからな、ファファファ、と高笑いっぽく考えてみて、それはそう、と納得する。
少し前まで、時代の区切りはディケイド、つまりは10年ごとに線引されていて、00年代・0年代あたりからその用法も使いにくくなってきた印象。単純に「0年代」とかわかりづらいしな。いやそうでもないか。「ゼロ年代」という表記が馴染まなかったのだ。あの時代には「ゼロ年代」の表記が先にでっちあげられて、その冠を機能させるためにそれまでと違う文化をつくってやろうぜみたいな意図が丸見えなものが多くて、好きになれなかった。手段と目的の履き違えという印象だった。
なんとなく自分のなかで区別できるのは、60年代、70年代、80年代、90年代の4つの時代だ。ファッションとか音楽とかの文化的側面と、戦争とか経済とかの社会的側面が、それぞれの年代ごとにイメージできる。だからそれがいまの若い人たちが「昭和・平成・令和」で区別してるイメージなんじゃないの、と考えると、なるほどなと膝を打つことも可能。実際どうかは知らない。
昨今でとりあげられるところの「昭和」は昭和末期で、70年代から80年代のイメージ。平成はよくわからない。平成は個人的にも世の中的にもいろいろありすぎて、確たる像を結ばずにコラージュとかモザイクみたいになってしまう。令和はもっとわからない。コロナ禍の印象がいまのところ強め。
そんなこんなでネット記事の見出しで「令和と昭和」とか「平成のなんとか」みたいなものをちらほら覗いてみると、やはりというか、一致した見解があるわけではなさそう。各々の記事のなかでの定義はありそうだけれど、読者の側にそれが明示されるでもなく、ふんわりとした最弱公倍数みたいなあたりで語りが進んでいく。
僕が短い言葉が好きでないことは、ここで以前にも書いたけれど、元号を扱ったものも似たような理由で、飲み込めない。「平成ってこんな感じだったよね」という前提に乗っかれないうちに話が進む。みんなほんとにわかってるのかな、という疑問のすぐあとに、そんな細かいこと誰も気にしないのさ、という言葉がついてきて、うむ、と思う。ライド系アトラクションに乗った気分で最後まで行くしかない。
というのは極論ではあるけれど、実際、単語の意味について合意がないままでネットの言論は転がっていく。ネットに限らずか。肉声による会話もそうだ。いいけど、めくじら立てることではないけど、気になるってだけで。
あと、元号での区分に馴染めないのは、最後尾ですべりこんだ程度とはいえ、昭和に人格形成されたことも理由としてあるだろう。いっこ前が大正だもの。元号で時代をわける感覚が身につくはずもない。
ところで「平成のイメージは?」と考えて真っ先に出てくるのが光GENJIのアルバムタイトルなの、どうにか修正できませんかね。ああ、無理ですね。それ、生涯その頭でお過ごしください。