犬の話

metayuki
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一昨日、ハムスターのことを書いたあとで、そういえばひとんちのペットの名前ってあんまりおぼえてないなと考えた。

友人の家に小型犬がいて、しょっちゅう遊びに行っていたのに、名前が思い出せない。姿はうっすら思い出せる。熱帯魚を飼っていた友人は、そもそも魚に名前をつけてあげていたかどうかも思い出せない。あの犬は、あの猫は、あのインコは。記憶が風化して塵となって宙に消えたみたいだ。

チロ、という犬がいた。仲の良かった女の子の飼っていた犬だ。中型の雑種だったように記憶している。名前、どうしておぼえているのだろう。ふしぎなもので、チロ、という名前はおぼえているのに、その姿が見えない。中型の雑種、というのも、ぼんやりした印象くらいのもので、ほんとうにそうだったかどうか。

小学生も低学年のころ、ぼくの実家のまわりには空き地が多かった。いわゆる新興住宅街のようなところで、隣の土地にも家はなく、燃えるゴミはそこで燃やしたりしていた。昭和の風景だ。

実家は坂道の途中にあって、家の前の坂をのぼりつめたところに広い空き地があった。まだ宅地として造成もされていなかった。土がやわらかくて、穴を掘るのも簡単だった。

あるとき、どこで見つけたのだか、子犬が3匹、捨てられていた。ぼくと友人とでその犬を飼いたいと思ったものの、どちらの家もそんな許可はおりなさそうだという話になり、だったら空き地で飼おうということになった。ぼくらは穴を掘り、そこに子犬たちを入れた。もう夕方で、明日、水とごはんを持ってこよう、と約束して家に帰った。子犬たちを育てることにわくわくしていた。夜が明け、友人たちと子犬のもとへ急いだ。子犬は一匹もいなかった。

ぼくらはずいぶん深い穴を掘ったつもりでいたけれど、実際には、浅かったのだろう。子犬たちが自力で這い出したに違いない。それとも通りかかった誰かが子犬たちの声を聞いて、助けてくれたのかもしれない。ぼくとしてはその可能性を信じたい。

捨て犬、という言葉を見聞きすることも、このごろはまったくない。小学校に野犬が現れて保健所が捕獲に来たこともあった。それも昭和の風景だろうか。

その後、小学4年生のときに幼馴染の家で子犬が3匹生まれ、親に懇願してそのうちの1匹を我が家で飼う許可をもらった。あの日、穴に匿ったつもりの3匹を重ね合わせて考えたのは、言うまでもないだろう。

中学、高校のテスト期間中、よく真夜中の庭へ出ていって、犬小屋の近くに座った。ぼくの足の上に中型の雑種犬が乗ってきて、そこに丸まった。ぼくは犬の体を撫でたり掻いたりしながら、しばらく夜空を見上げて時間を過ごした。

もちろん、我が家で飼っていた犬の名前はおぼえている。しっかりとおぼえている。ぼくが大学生のころ、さすがにもう老齢で、元気もなく、それでもぼくが夜中に庭へいくと、よたよたと近づいてきてくれた。ぜんぜん良い飼い主ではなかったのに。

そうしてある朝、硬くなっていた。

この文章を書くまで一度も考えたことはなかったけれど、チロはどんな最期を迎えただろうか。姿を思い出せないくせに、名前が残っていると、ひとつの命としてイメージがふくらんでくるものだ。

@metayuki
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