I'll Cry Instead

metayuki
·

クリスマスの朝から歯医者へ行って、虫歯の治療を施されてきた。それも2箇所。なんでこんな日に、と思うものの、それは私が予約を入れたからです、ということでしかなくて、自業自得。

最近読んだ本のなかで、危険な力を持つ主人公がその能力を抑えるために目隠しをされる、という設定があり、歯医者の治療台で横たわったあとで目隠しをされながら、おお、俺にも危険な力が、などと妄想をたくましくしていたら、べつの部屋から幼子の号泣する声が響いてきた。しまった、力を使ってしまった、と思っているうちに歯茎へ麻酔を打たれて、口内だけでなく頭までぼやけてくる始末。子供はずっと泣き叫んでいる。

治療はだいたい40分くらいで終わったのに、治療の始まりあたりで泣き出した子はまだ泣き続けていた。すごいね、よくそんなに泣けるね。待合室へ行くと泣きの張本人がおかあさんにあやされながら泣いていた。もう危険は去ったのに、かわいいぬいぐるみも、抱きしめてくれるおかあさんもいるのに、なにがそんなにイヤなのか。自分の泣き声におびえきってしまっているのかもしれない。顔の全面で恐怖を表現し、喉の奥からしぼりだすような嗚咽で、いたたまれない。1歳かそこらの子で、そばには3歳くらいの女の子が座って絵本を読んでいた。おねえちゃんなのだろう。慣れてるんだろう。おかあさんは困ったふうでもなく、こうなったら泣き止むまで待つほかないわと、どっしり構えている。

いくつのときだったか、正確な時期は思い出せないけれど、多分、小学校低学年あたりのころに、僕は父を試した。家族でデパートを訪れた際、おもちゃ売場で僕は父から隠れた。どれくらい心配してくれるか、知りたかった。そうじゃなくて、心配してほしかったのだと思う。どれくらいで僕がいないことに気づくだろうか。慌てて探してくれるだろうか。自分から隠れておきながら、心配されなかったら、見つけてもらえなかったら、想像して悲しくなった。

この話を持ち出すと、だいたい「そういうのやるよね子供って」といった反応がかえってくる。だれかに似た話を聞いたら僕だって「俺もやった、みんなやるよね」くらいのことを言いそうだけれど、でも、当時の僕は、そしてきっと僕以外に似たようなことをやったあなたも、あなたも、あなたも、「みんなやるようなこと」をやったつもりはなかったはずだ。もっと根源的な、怖さ。それがあるから試してみたくなる。やりたくないのに、やらないことには安心できない。だってもう泣き叫んでみたところで心配してもらえるだけにはならない。そんな歳じゃない(と、6、7歳の子が思ったのだ)。泣きじゃくったって、言葉で説明しなさいと諭されるだけ。だけど説明できるだけの言葉をまだ持ってない。だから行為に走る。相手の行動に賭ける。

さて。父から隠れた僕は、たしか、すぐに見つかった。ちょっと怒られた。それほど激しく叱られた記憶はない。でもわからない。こっぴどく怒られたかもしれない。そんなのどっちでもよかった。自分から隠れておきながら、見つけてもらえたことに安堵した。

歯医者で泣き叫んでいた子が、今日のことをおぼえてるなんて未来はないだろう。忘れるに決まっている。どっしり構えているふうに見えたおかあさんのほうが、案外、今日のことを忘れられないかもしれない。どっしり、と見えたのは僕の中の安直部隊が「第二子ともなれば慣れたものなのさ」と早合点しただけで、ひょっとしてひょっとするとあの女性も自分が幼いころに感情を持て余して泣き続けた経験を思い出していたのかもしれない。

そう考えると、子供が泣き叫ぶのは、大人たちのためとも思えてくる。平気なふりばかりうまくなって泣けない大人のかわりに嗚咽しているのかも。

ちなみに今日のこの文章の題名はビートルズの曲から拝借。

@metayuki
書きたいこと好きに書いてるだけの生き物。ときどき創作物が混入します。ハッシュタグでご確認ください。