書店にまわる機会があったので、買おうと思っていた本を買おうと思って行ったのに、買おうと思っていなかった本でおもしろそうな作品を見つけてしまい、さらに見つけてしまい、買うつもりじゃなかった本ばかり買ってしまったので反省しているのだけど、何をどう反省していいのかわからない。
読みかけの本も何冊かあって、移動中に読む本と就寝前に読む本と気分転換に読む本とでパラレルに走っている。セパレートって言うほうがいいのかわからない。厳密には同時並行ってわけでもないのだけれど、集中して読むことができない時期というだけなのかもしれない。
本が好きだと公言しているわりに、本好きの集まりに属したことがほとんどないまま生きてきた。図書委員とか文芸部とかとも交わることがついになかった。教室でよく本を読んでいたのだから、お声がけがあってもよさそうなものだけれど、こちらからも歩み寄ったりはしなかったので、ついぞ縁のないままになってしまった。
僕の最初の図書館の思い出は旧・熊本県立図書館で、熊本城の下、千葉城町にあった。現在は熊本県立美術館分館がある場所だ。調べてみると1985年に旧図書館は閉館となったらしく、となると僕が10歳のころ。記憶はおぼろげで、立派な洋館のような建物だった気がする。扉は大きくて重く、石造りの階段も広々としていた。という印象は僕の小ささに起因しているのかもしれないけれども。海外の文学作品、それも少年少女向けの魔法が登場する物語の舞台になりそうな印象もあり、そこで借りた本の内容とうっすらとリンクして記憶棚にしまわれている。
それからあとの図書館・図書室といえば、学校内の施設が主になり、大学生になると学校だけでなく公立図書館にも再び足を運ぶようになった。大学では日本近代文学を専攻した。それなのに本好きの集まりという感じはなくて、結局、ひとりで読んでばかりいた。
もっと積極的にサークルとかに飛び込んでみればよかっただろうか。
高校での吹奏楽部が楽しかったので、大学でオーケストラに入部してみたものの、入ってすぐに先輩たちの人間関係のトラブルが起きていて、それがいやで退部してしまった。あのタイミングで創作系のサークルに軸足を移してもよかったのに、そうはしなかった。なんにもうまくいったりしないし、いいことなんかなにもないと、そう思っていた。前にも書いたことだけれど、本を読むことが呼吸をつないでくれた。
今日、自分の子に「中学生のころ、なにになりたかった?」と聞かれて「文章書く仕事ならなんでもいいと思ってた」と答えた。これまでにも何度かそう答えたことがあるはずだし、実際、そう思っていた。中学生のころには結末のある文章なんてほとんど書いたことがなかった。書き出してみて、どこに向かっているのかもわからないまま、続きを書けなくなった。でたらめにつくった紙飛行機を飛ばしてみたけど、すぐそこに落っこちるだけだった。そんな感じで、それを「紙飛行機」と呼ぶのは自分ひとりしかいなくて、傍から見れば紙屑だった。あれを紙屑と思わなかった、その勘違いこそが、命綱だったのかもしれない。
ここ数年、講師業をやるようになってから、本好きの方々と交流できるようになった。なんというか、よちよち歩きから再スタートしたみたいな心地でもある。転生したら本好きにめぐりあえる人生だった、みたいな。この歳になって新しい楽しみを味わえるのはありがたいことで、このために幼いころ、若いころにそっち方面に踏み出せなかったんだよ、と思えば、ちょっと救われる。
なんかいい話風にまとめようとしてるけど、図書館から借りてきたものも含め、机に10冊が積まれている様を見てしまうと、いいから秩序を持った読書を心がけなさい、と自分を叱りたくもなる。叱ったところでまた重ねていくんだけどさ。