遠い教室

metayuki
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専門学校で講師を務めている。週1なので、学生の顔と名前がなかなか一致しない。こりゃいかん、という危機感のもと、個別で話を聞ける時間を設けている。そのわりに顔と名前が一致しないまま時は流れて、浮かんでは消えてゆく、ありふれた言葉だけ。途中から歌詞の引用になった。

顔と名前はさておき(おくな、バカ)、個別に話を聞いていると、ああ、いろんな人がいるんだな、というありふれた言葉だけが頭を埋めていく。教室というのはそういう場所で、そういう場所は人生からどんどん減っていくのだということを、若い人たちはまだ知らない。

聞き役が上手な子。ついついサービス過剰にしゃべってしまう子。興味のないことは心底どうでもよくてだらっとしゃべる子。好きなことを語りだすととまらない子。そんな具合に表向きの性格をとってみてもバラエティがあって、ほんとに、人はそれぞれの文化を背負って形作られているのだと思い知らされる。そして気の合う相手と仲良くなり、グループをつくり、そうでない相手とは最低限の交流でやりすごすようになる。使わないアプリが増えていくみたいに、そこにあるんだけど、触れる機会が減っていって、いつかの時点で削除する。あとになってあのアプリ、残しておけばよかったと思って検索すると、最新のOSでは動作しなくなってたりして。いや、アプリの話ではなく。

大学時代、おなじ学科にアート系の女子がいて、いつも黒い服を着ていた。澁澤龍彦の書籍を持ち歩いて、バタイユのことなんか話題に出したり、画廊でバイトしたりという人物だった。近寄りがたいってことはなくて、どちらかといえば人当たりがよく、こちらから話しかければ気さくに返してくれる人物だった。まわりのほうが彼女に近づくのをびびってしまうというか、身構えるようなところがあって、いま思うと彼女もやりづらかったろう。そして残念なことに、彼女について語れる思い出もない。離れたところから見ていた印象、あと澁澤龍彦の本の印象が強く残っているくらいで、名前も思い出せない。彼女のような人物とその後の人生で接近したことはなく、どうしてあのときもっと話しておかなかったのかという悔恨ばかりが生き延びている。

といった話を学生相手にしてみたところで、若さはそれを拒むだろうし、うざ、と断じられておしまいだろう。若さの特権は、既知より未知が多いということで、オートマティックに生きていても知らないこと新しいことが口に入ってくる。歳を重ねるとわざわざ探しに行かなければ未知と出会うのも難しい。

藤井風は「旅路」のなかで「この宇宙が教室なら」と歌っている。そうであってほしいのだけど、大人はなかなか教室にたどりつけない。まだ間に合うかもしれないのに、どうせもう遅刻だし、とふんぞりかえってしまう。

@metayuki
書きたいこと好きに書いてるだけの生き物。ときどき創作物が混入します。ハッシュタグでご確認ください。