数日前にすこしだけ触れた、恩師が亡くなったということ、なんとか飲み込もうとしているのにうまくいかない。それでまあ、人がいなくなることについて延々と考えている。
原田さん、というのが恩師の名前で、面と向かって「あなた私の恩師です」と言ったことはない。原田さんは僕が東京へ出て入った会社でコピーのトップだった。現場にあまり口出しせず、いつもふわっと構えていて、顔立ちは荒っぽく彫られた仁王像みたいな趣があり、だけど言葉はおだやかで、頭ごなしに否定されることもなく、「中山はどう思うの」「中山はどうしたいの」とこちらの意図をいつも気にかけてくれた。よくよく思い出してみても、原田さんを含め、その会社でコピーライターの上司に叱られたという記憶がない。きっと、原田さんの薫陶が行き渡っていたのだろう。自分もそうなりたいと思ったものだ。
なにしろ重鎮みたいなポジションにいたので、普段の仕事に原田さんが関わることはあまりなかった。古くからのクライアントの仕事を飄々とこなしている、というイメージがあり、たまに新人のコピーライターが入ってくると、自身の名前をもじった「はじめの一歩」と題した講座をひらいてくれていた。ただの駄洒落なんだけど、でも、文字にして表に出す言葉については、ひとつも怠ることなく創作とする、という姿勢を原田さんから学んだ。
僕が苦手なタイプのクライアントがあり、その仕事について悩んでいたとき、「クライアントのために考えるな」とアドバイスを受けた。仕事なのでクライアントを考えるのは当然なのだけれど、言葉が向かう先はまた別のところだという、これまた当然のことを、ああ、原田さんの指導できちんと理解できるようになった。
こういう話を出していいものか迷うけれど、給与の遅配が続いたとき、経済的に助けてくれたのも原田さんだった。
余計なことを言わないのは、言葉の働き方をよくわかっていたからだろう。誰かを言葉でねじふせることもしなかった。
でもきっと原田さんも苦汁をなめた人だろう。若いころに誰かを言葉で滅多刺しにした経験があったに違いない。だからこそ、僕のような経験の浅い人間に、適切なアドバイスを授け、適度な失敗を黙って受け止めてくれたのだろう。
訃報を受けてから、なにかというと、自分がこれからどう生きていくのかを考えてしまう。「俺に言われても困るよ」と原田さんは苦笑いするだろうが、思い返すのは原田さんの問いなのだ。「中山はどう思うの」「中山はどうしたいの」と、ずっと訊かれている気がする。
どうしたもんですかね、つぎの一歩。