グループを出た後の推しの肩書きはアイドルじゃなくなる。なんになるんだろう。これから、何者になっても、彼女はたとえ望んでも望まないときが来ても「かつてアイドルだった」。
タイトルの話。なんて、を推し側に付けたのは不敬。それは分かる。でも、「推しに届く必要なんてない」よりも「推しになんて届かなくていい」の方が良いから、いい。推して敲け。なにかに似てるなと思ったんだけど、ニュアンスが『勝手にふるえてろ』に似てる気がした。あんまり似てないかも。
推しが、卒業します。ちなみに、最推しと2推しが同時に。(2推しという言葉は好きじゃないけど、私にはふたりを平等に推す力も活力もなくて、結局差をつけてしまったので、自虐も込めて使う。これは本当に推しに届かないでほしい。でも、2推しの子はきっとここにはたどり着かない。だから、甘えてます。心と思考が落ち着くまでに2推し以外の呼び方を見つけたい。)
ついに来てしまった、推しの卒業イベント。3次元でアイドルを推しはじめた、2年前、覚悟したことではあった。出会いがあるなら別れもまた必然、別れのない出会いなんてないのだから……。
しかし、だ。最推しちゃんはグループを卒業するけど、アイドルは辞めない。アイドルというよりもアイドルゆえの歌や踊りや表情も含めて、表したいことに必要な表現方法を選べる武器の多い表現者みたいな形が一番近いひとのような気がするので、グループを出た彼女はおそらく「アーティスト」になる。これが圧倒的に端的に彼女の形を表すにふさわしい言葉だろう、誰にでもわかりやすい形だとそれが妥当。アイドルじゃなくても私は彼女が好きだし、彼女の表すものが好きなのだけど、アイドルの彼女か、ただの彼女しか愛せないと言うか、変にアーティストだとか絵描きだとか何かで括った彼女の一面しか捉えられない言葉にヨシとは言わないだろう。うーん、アーティストはやっぱり少し居心地悪いよね。もぞもぞする感じ、こそばゆい。アートってひどくチープな言葉だと思う。そんな言葉でまとめて欲しくないときっと作った人間たちこそ強く思っているのに、とんでもない粗さの網でぐちゃりと十把ひとからげだ。アート同様アーティストも肩書きでしかなくて、誰が足掻いても無駄に近いカテゴライズの一貫なので、なんだっていいっちゃいい。私の認識とは別軸の話なので。カテゴライズって、気持ち悪いけどないと困るものだから、囚われすぎずにほどよい距離で付き合うのがいいよね。閑話です。
で、アイドルはただの一面じゃないか?というと、これもまた一面ではあるんだけど、彼女はアイドルを基盤にそれ以外の表現をこの世に出してきたから、アイドルは面は面でも土台になると思っている。(後述するが彼女の至極プライベートな制作はここに含まない)これはきっと彼女自身、どこかでぶつかったり開き直ってきていたり、していたりする事象だと勝手に思っているけど、彼女は「アイドルなのに/だけど〇〇」という形式を使っている。使う、というのは本当に失礼な言い方で、これは美人政治家くらい最低で失礼な言葉なんだけど、本当に美人で、本当に政治家でも美人政治家が侮蔑になるように、彼女は本当にアイドルで、絵が上手くて、思考が面白いひとで、でも結果的に彼女は「アイドルだけど〇〇」になる。アイドルは夢をばらまくボランティアではないので、仕方がない。彼女がどう見せたいかの一存ではことは進まないのだ。なにが言いたいのかと言うと、事務所の売り方を経て、推しの絵だから、言葉だから手に取った人間は少なくないということ。何かと出会うきっかけに良し悪しなどないので、どんな下心があろうが、出会いは絶対に素敵なもので、私は門戸を広げるという意味で推しの所業を心底から尊敬している。ドルオタに谷崎を読ませられる人間が未だかつていただろうか。こんなにもオタクに筆を握らせたアイドルがいただろうか。これもまた途方もなく素敵でとんでもない力なのだが、時としてこれは彼女の強みであり弱みになるんだろうなと感じる。絵だけで食っていきたい、文字だけで生きていきたいと踏ん張る人間とは全く違うルートでそれらをお金に変える力を持つ。うだうだ言ったが妬み嫉みを受ける要素になるだろう、という話。これはポテンシャルも努力もすべてひっくるめて、ステータスをどう振ったかという話で彼女が表現者としてずるいわけでは全くないのだが、彼女がただの一介の絵描きとしてゼロからスタートしたいと言っても逃れられない運命を、アイドルになった瞬間から背負っている。彼女はたぶん、一生、Twitter(あえてTwitterと書かせてもらう)は鍵垢一択だ。必ずこの世のどこかに存在するだろう彼女の本垢(鍵)に先制ブロックされないように私も本垢には辿り着かれないように気を付けたり、でも見てほしかったりのはざまを揺蕩っている気持ち悪いオタクを日々やっている(隙自語)。ちなみに彼女のアカウントを探そうとしたことはない。これは肝臓でも角膜でも脊椎でも賭けられるくらいには誓える。創作者はなんだかんだネットの海に作品を放ったら最後、自作品から自分につながる紐が伸び続けるので、完全に切ることはできない。文体で特定されるということはそうそうないにせよ、絵柄は即特定されるだろうから、彼女が彼女の名前を捨てて新しいペンネームを付けても、オタクはすぐに分かってしまうし、オタクにバレるということは「元・アイドルね」と言われるということ。事実、彼女はとてもかわいい女の子なので、呼吸をしているだけで大抵の人間よりよほど優れた生命体なので、「元・アイドルだからなに?」と高笑いしてもいい。それはそれとして、彼女がこの世に、特にネットになにか表現を残す限り、彼女からアイドルという一面だけは絶対に剥がせない。これが、面は面でも土台というアイドルの一面ということ。まあ、私の穿った押し付けかもしれない。私が推しの、弱さと強さのバランスが好きで、創作者としてアイドルというポジションきっと悩んだり、逆にアイドルとしての創作者の不自由さに嘆いたりしながらも、持てるものは使ってやる、と進んでいて欲しい。これは二次創作的願望なので、事実とは無関係です。なので、この願望から私はなんでもない推しかアイドル\元・アイドルの推しがいいのだ。もちろん、推しが「私の肩書きはエグゼクティブほにゃほにゃです!」って言い始めたら、私は「エグゼクティブほにゃほにゃの推しも大好きです!!」って言います。全肯定オタクではないけど、推しが納得した肩書きが見つかったなら、たぶんそれは私も好きだ。そのくらい、推しの感性を信じている。
持っているものを使うことは当然だと思うし、アイドルだけじゃなく、創作者も今どきマーケティングしてなんぼなのでマイナスの心象なんてひとつもないのに、私がこの文章をこんなにもぐだぐだ書いてるのはきっと羨望やら嫉妬があることの現れなのだと思う。言葉を広く強く届けられることには憧れる。同時に、自分の言葉が同じくらいの力を持ったら、きっと私はビビリ散らして何も言えなくなる。隙を見つけたので隙自語するが、私はフォロワーがフォローの10倍になった時、何もかもが嫌になってアカウントを消した。弱い。もちろん、Twitterの話(一応、二桁と三桁の話)。アイドルって、思えば思うほど大変だと思う。誰かのメンタルの上がり下がりや下手すれば命を左右する。怖い仕事だ。だから、尊敬するし、感謝する。ついでに、めちゃくちゃ美少女に生まれ変わっても私はアイドルを選ばない。これは推しの生き様を見て、その上で顔や喉だけでやれることじゃないと理解したから出てきた言葉と分かってほしい。推しを見てアイドルになりたいと思って立ち上がった子もいるだろう、それだけの力が推しにはある。どうだろう、言っておいてなんだけど、私みたいに推しを好きな層というのはあまり勢いだけで飛び出せるタイプではないというか、良いことも悪いことも考えつつ進むタイプが多いような気がするから飛び出さないかもしれない。だからこそ、生半可な覚悟ではないアイドルが推しを見て生まれているかもしれない。アイドルじゃなくても、推しを見て、覚悟する力をもらって、臆しながらも進んだオタクは多いに違いない。彼女も彼女のオタクも、いい意味でのスリザリンなのだ。きっと。スカラビアなのかも。長い閑話です。
逃れられない環境、オタクらしく言えば運命。それが好きだ、オタクなので。だから、彼女のアイドルだった、を呪いに仕立て上げたくて仕方がないのだ。だって、夏までは「推しの卒業イベント」なのだから。彼女がグループを卒業したら、私は彼女にあえてアイドル時代の話を不必要に振ることはないだろう。懐かしむことはあっても「戻ってほしい、昔のほうが良かった」なんて絶対に言わない。全く思っていないから。私はアイドルの円満卒業推進派のオタクなので、卒業はとてもめでたいものとして捉えている。感謝しかない。それはそれとして、卒業を悲しまないのも惜しまないのも失礼だろうし、寂しさはきちんとある。最推しちゃんに関してはグループを卒業するだけなのでまだ会えるし。彼女の随分と曖昧なモラトリアムの延長に乾杯! モラトリアムというには社会に食い込みすぎている、アイドルはとても歪なサラリーマンだから。なにが言いたいのかというと、卒業はイベント、祭りなのだ。泣ける映画で泣きに行くのと同じ。オタクはここで惜しむために注ぎ込めるものをすべて注ぎ込んで、オタク仲間と推しを語らい、推しに今までの感謝を述べて、涙目で別れを告げる。これがイベントのスタンダードな楽しみ方。当たり前に朝が来て目を覚ますように数日後にはけろりと別の推しを作るかもしれないし、ずるずると箱推しやっていたら長い冬が明けて新芽がゆっけりと芽吹くが如く新メンに心奪われたり、どこにも行けずに深い湖の底で揺蕩いながら心の中の推しに縋り続けるかもしれない。でもそれは、お互いに預かり知らぬところ。だから、イベント期間はめいっぱい卒業の空気を楽しむ。私は彼女の卒業までは、アイドルの彼女というコンテンツを擦る。私のイベントの楽しみ方はこれ。卒業を目前に控えた推し、という期間限定の存在を思考の中でこねくり回すこと。今のブームが「アイドルというバックボーンの呪い」なのだ。趣味悪いよね、分かる。メリバ厨だから……。この間、話題になった推しを好きだからって何言ってもいいわけじゃないの極みブログを読んで私も背筋を正したはずなのにすぐこういうことを言う。ダメになったらブロックしてほしい、推しに介錯してもらえるなんて最高じゃないか。なにちゃっかり切腹してるんだ、こうなったらもちろん打首です。なんとか推しを傷付けるモンスターになる前には自分で気付いて深い森の奥へ消えるつもりです。
呪いは、のろいでもまじないでもある。まじないは、祈りじゃないだろうか。その両面性が好きだ。アイドルは、多面的だ。面が増えればたくさん反射してきらきらと光るだろう。スポットライトを浴びて乱反射する宝石。彼女をのろいたいのではない、彼女のそんなたくさんの面を勝手に見つめて勝手に認めたいのだ。強い言葉を使いたがるのはオタクの悪いところである、愛染隊長を呼ぼう。私は心の中にギャルとヤンキーと愛染隊長を住まわせている。「あまり強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ」これは常に心に刻むべき言葉である(隙自語)。アイドルという存在、概念、枠組み、カテゴリーが彼女にとってのなにであったとしても、彼女を救うとオタク=私は信じている。この「信じる」はのろいであり、祈りになるだろう。
話題全く変わるけど、いいよね、彼女のアイドルになる前に出会えたひと。彼女がアイドルと知らずに出会えたひと。やっぱりちょっとたまにこういう夢思考が頭をもたげる時がある。私は、何かが巡り巡って、うっかり街角で一般人になったいつかの彼女を見かけて、うっかり名前なんか呼んじゃって、もしかしたら「〇〇ちゃん?」なんてプロの認知力を発揮されても、元・アイドルと元・ファンという絶対に壊れない完璧のイデアみたいな壁に阻まれるのに……。私は推しちゃんに会うまで生きてる推しっていなかったので、こういう感覚は推しに出会ってからはじめて抱いたものだし、推しにしか抱いたことのない感情だ(夢小説は書けるけど、需要が高いから書いてるだけのビジネス夢女だから二次元でもリアコ的な観点はあまり持ってないので……)。たまに推しへの干渉欲とでも言うのか、認知以上のものを得たいと感じる気持ち悪い欲望の塊をその度黙殺している。ストーカーとかはしないけど、私の場合、根が字書きなので、とにかく自分の文字を読んで欲しくなってしまう。俺の文字を浴びろ〜!という厄介な欲求。そして、ファンは1円も払うことなく推しに手紙を届ける権利を持ってる。とんでもねえ無銭がっつきができるのが手紙。事務所に弾かれない限り彼女のもとに届くし、彼女もプロのアイドルなので読むしかない。私は私の手紙が、彼女の負担になって欲しくなくて、読ませなくてもいい言葉をこれ以上押し付けたくなくて、こんな終わりの文章をしたためているわけです。でも、読んでほしくて、その気持ち悪い感情が乗せられた天秤をここに置きました。推しになんて届かなくていい、の回収です。届いてほしいけど、届くなっていう葛藤。葛藤も推敲と同じで似た意味の漢字でできた熟語。重ね合わせの熟語って好き。
一体いつまでこんなイカれた文章を書くのだろうか。だって、まだまだ落ち着かない。2推しちゃんの話もしたい。私とグループの向き合い方もまだ言葉にならないもやもやのまま。でも、原稿やばいんだよね。6月にとあるジャンルのオンリーに合同誌とアクキーを出す予定なんですけど、表紙データもまだ作ってないし、アクキーのデータもまだ全然。懐かしいなぁ、武道館の前の週は毎日3時くらいまで起きて、めちゃくちゃ眠くなる副作用のある鼻炎の薬を無理やり飲んで、会社行ってを、繰り返しながら15万字の原稿をしていた。私は初現場の武道館と、原稿の修羅場を同時に懐かしむことができる。武道館までには脱稿する!と言っていたので。普通に武道館の3日後くらいまで原稿してました。でも、入稿はちゃんと間に合いました。
もし、推しちゃんにこれが届いて、興味深いと感じたならこっそり「読んじゃった」ってチェキチャのときとかに教えてください。気持ち悪かったら、早々にブラウザバック推奨。最近、言わないよね、これ。Pixivですらなくぷらいべったーとかで小説(二次創作)載せるもんね、ブラウザじゃないことも多々ある。というか、キャプションを最後に書くな。
2024.04.17