今日は仕事が昼過ぎで終わったので、六本木のギャラリーで気になっていたところをいくつか回って(六本木って実はアートの街)、ついでに森美術館開館20周年記念展『私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために』を観てきた。現代アートは"コンセプチュアルな"部分が人間のアウトプットとしてすごくおもしろいな、と最近思っているので今日はそんな話を。
そもそも"コンセプチュアル"アートってなに?っていう話をしていくと芸術史にまでさかのぼって永遠と長い話を書き連ねなくてはいけなくなるので、ものすごく簡単に"文脈、メッセージ性を内包している"アートという風に考えてもらえれば今はいいと思う。え、そもそもアートってそういうものじゃないの?なんて思うかもしれないけれど、実は人類の長い歴史を見てみるとアートという表現活動がメッセージ性をはらんだ社会への参画活動としての側面を持ち始めたのはここ100年しないくらいの話。それこそ芸術の花が咲き乱れたルネサンス期(14-16世紀)には芸術家はお金持ちたちからのオーダーを受けて受注生産するような創作活動をしていた。芸術家たちが意志を持ってメッセージを社会に発信していくようになったのはここ最近の話であり、今の時代の潮流であるというわけだ。
"コンセプチュアル"という言葉の意味の説明はこれくらいにして。最近アートにも興味が湧いてきていてアート関連の本を読み漁ったりYouTubeを見漁ったりしているのだけれど、その中でとてもおもしろいな、と思ったアートの美的意味についての言葉があった。
いわく「広い意味での表現活動のうち、コンセプトという概念の美しさだけを比べたら"論文"がいちばん美しいということになってしまいますよね。」
なるほど、たしかに洗練されて削ぎ落とされた言葉、概念上の(conceptual)論理的構造と批判的思考の美しさは"論文"に勝るものはないと思う。そして、その言葉にはこういう続きがあった。
「でも、私たちがやっているのはアートですから。そのコンセプトにどれだけのものをアートとして乗せられるか、ということをやっていくわけです。」
なるほどなあ、、、と感嘆してしまった。だからこそ僕は、アーティストの内面の鬱屈としたエネルギーを発散させている自己表現みたいなアートや奇を衒うようなエポックメーキングなアートがあまり好きではなくて、そこに文脈やメッセージ性、社会的意義みたいなコンセプトが内在しているアートが好きなんだと、改めて今までぼんやり好き嫌いを判断していたアートの好みについて言語化できた気がした。
そしてそれは、思い返してみればアートだけではなくて建築もそう、インテリアデザインもそう、そして人の好き嫌い(嫌いはあまりないけど)もそうであることに同時に気付かされる。というか、そもそも"コンセプチュアルな"という思考形態自体が"哲学的である"ということと自分の中でニアリーイコールになっているからなのかもしれない。コンセプチュアルな哲学が根底にあって、そのアウトプットとしての形がアートなのか、建築なのか、デザインなのか、生き方なのか、というすべてに共通したシンプルな好みの問題だった。
まあ、これもそもそもなにが正しいのか(コンセプチュアルな方がいいのか、わるいのか)なんて話ではなくて、その判断基準も曖昧でマーブルでグラデーションがあるエクリチュール性に満たされているのだとも思う。この語彙については誰かを批判するために使うのではなくて、誰かに好意を伝えるために使っていけたらいいのだろう。形式を問わず、人のアウトプットの形として"コンセプチュアルな"ものが好きだ。こういう風に自分の価値観を言語化できたことで少しずつ今後の選択がより洗練されていくのだとしたらうれしい。
『私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために』この展覧会の趣旨自体がそもそもコンセプチュアルアートを前提としたアーティストと作品のキュレーションをしているので、"コンセプチュアル"という概念についての最近の考えごとと照らし合わせながら展示を観ていて最後に思ったことがあった。アウトプットの形、それはアートであれ建築であれデザインであれ生き方であれ、主体が"コンセプチュアルな"哲学を持っていることに変わりはないのだけれど、やっぱり伝わらないとそれは自分だけの自己満足、自己愉悦になってしまう。そこには伝える努力が必要なのだと思う。それはチームとしてのシステム(キュレーションして展示し紹介する美術館など)でもいいし、主体的なブランディングやマーケティングでもいい。分かりやすさがないと観衆には伝わらないし、その先にいる大衆、そして社会には届くはずもない。それこそがきっと"コンセプチュアルな"人たちがもつべき矜持なのかもしれない。
最後に、たまにお客様に「ギャラリーって行ってみたいけど緊張するし、どうやって楽しめばいいのかわからない」と聞かれるので僕個人の楽しみ方を。それは"アートを本気で買うつもりでいく"ということ。ギャラリーはそもそも美術館と違って入場料は無料で、アートを購入するための場所だ。目録をみればちゃんと展示作品の値段が書いてあるし(数万円〜数百万円)、ギャラリストの人に直接値段を聞いたりアーティストについて聞いてみたりすると、色々と聞いてないことまで話してくれたりもする。なんとなく、ふーんこういうのもあるのね、と作品を鑑賞するのではなく、買うか買わないかのリアルな判断を情報を揃えて鑑賞していくと、よりギャラリーという体験に肉薄できる。そうやって場所に慣れて、人に親しんで、空気に馴染んで、少しずつアートがもっと身近になっていったら、美術館もギャラリーもきっともっと楽しめるようになっていくはず。