セレンディピティとかなんとか

kei
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ここ数日、確定申告の準備をしていて領収書を整理しつつ経費に計上する作業をゆったり進めていて思ったことがある。

「だいたい同じお店ばっかりだなあ」

たまに友達とぶらっと適当なお店でご飯を食べたり新しいお店を開拓することはあれど、本を買う、カフェで一服する、服を買う、だいたい同じお店で買い物をしている。

こんなにたくさんのお店と人がひしめき合っている東京という街で、考えてみればぼくはほとんど同じところを行ったり来たりする毎日だ。行きつけのお店、いつもの店員さん、いつも歩く道。新しい出会いと新しい可能性に満ち溢れているこの街で、ぼくの日常はほんのわずかなエリアで完結している。それは多くの人たちにとっても同じかもしれない。僕たちはこの東京という街の全ての可能性にアクセスできるのではなくて、少しずつ少しずつオーバーラップしている限られた可能性の中を泳ぎながら生活圏を共有している人たちと一緒にそれぞれの小さなちいさな社会で生きているのかもしれない。

だから僕たちは、だいたい同じような趣味嗜好で、だいたい同じような社会的地位、所得の、だいたい同じような顔色をした人たちとしか出会わない。たしかにぼくは普通に生活をしていて大企業の会長にも極左にも旧華族にも出会ったことはない。なにか別の可能性と出会うためにはセレンディピティ(思いもやらなかった偶然による幸運)がきっと必要なのだろう。

いつもは行かないお店、いつもは行かない集まり、いつもは歩かない裏道、そんな不確定要素を自分から人生に招き入れなければいけない。大好きな恩師に言われた言葉「君の人生にはノイズが必要だよ」が頭の片隅でずっと静かにリフレインしている。

待っていちゃだめなのだろう。たぶんこれは「決め」の問題だ。人生の選択の多くは不確定要素漂う未知の可能性の海の中で、飛び込む決断をする自律的な決定にかかっている。してもしなくてもいい、いつでもいい、どちらでもいい、そんな決定不可能性の中での決定の経験。そんな「決め」の問題に。

そんなことを考えながら、仕事終わりにいつものカフェでいつもと同じ甘さのココアを飲んで、この日記を綴る。

帰ったらいつもと同じワインを飲んで、寝よう。

@michelangelooo
『pillow of Socrates / ソクラテスの枕』プラトニックな希望と静かな憂鬱をいったりきたりする28歳の日々の日記です