ここ5年ほど髪を染めていない。
元々、染めたくて染めていたわけではなかった。みな染めているから、染めてないと垢抜ないと思われるからとの焦りでしていた行為。
そのうち、人から芋と思われたくないと取り繕うなんてのは虚栄心に類するもの、そんなんわたしのなかにあるのおもしろくないな? と、染めるのをやめた。
なりたい髪型ができたら染めればいいじゃないかと。わたしは自分をこういう造形にしたいと創造性ベクトルの気持ちが生まれたらすればいい。
とはいえ、やめた最初の頃は、人の髪色を必要以上に意識してしまう。染めていない人、特に女性の少なさに驚くとともに、黒髪で変に思われていないかドキドキしていたのをはっきりおぼえている。
ファッション感度の高い人が比較的多く観察される銀座蔦屋書店併設のスタバで、人の髪型を延々とチェックしたこともあった。黒髪ショートの人もちらほらいて、わたしもこれでいいんだと自分を安心させたこともあった。
このわたしの過剰な自意識とは裏腹に、この5年で黒髪が変だと思われた場面に出逢ったか思い巡らすと、特に記憶がない。
黒髪で長いと重たいかなと、最初は消極的に無難なショートボブに。黒髪ショートが自分のなかで普通になったここ2年ほどは、少し遊んでハンサムショートにしていた。そのため後ろは軽く刈り上げている。こんなに男の子のような髪型になっても、髪型について何か眉を顰められる経験はなかったように思う。好意的な反応はあっても。
いまや人がどんな髪色をしているかまったく意識していない。おぼえていない。もう外国人だらけでもあるし。たくさんの色が溢れていて、それが日常の風景で、わたしの髪色は黒い。
こんな男の子のような髪型を続ける間、意外にどんな服を着ても違和感がなかった。Tシャツ短パンから胸を強調するドレスまで。
男の子のような髪型で女性らしいとされる服装をしても変と感じなくなった。これは他者に対してもそうで、服装はこうあるべきといった考えのうちジェンダーに縛られていたものがするすると抜け落ちたように思う。
偏見をまたひとつ捨て。
最近、また伸ばして少し明るく染めようかと考えて、先日行った美容院ではその旨を伝えてボブに揃えてもらった。ここから縮毛矯正の季節だしなにかと行くだろうけれど極力そろえるだけにして、9月頃にいまの理想の髪型になる予定。
今度は積極的にこういう髪型にしたいという気持ちが出てきた。
なんでもそのうちこういう気持ちがでてきたらいいなあと考えながら生活していると、その通りになるものなり(徒然草ふう)。