※タイトルはすごく純粋な感じになったけどおそらくわりと下世話な話です。
例えば恋人がいるとして、その恋人が普段は隠しているけど実は赤ちゃんになりたいタイプの人だったとして、自分に一度もその欲求を公開することなく自分の知らぬ間にアウトソーシングによってバブりたみを解消していたことをある日突然知ったとしたら、僕はたぶんすごく相手にいろんなものを投げると思います。(投げるのは物じゃなくて感情とか言葉のほうです)(ややこしい)
相手がありがちじゃない欲求を持つタイプの人であることを受け容れられない場合はそれが一番リスクを回避できる道だということはわかるんだけど
欲求が何であれいったん全部聞かせてもらっていいですか?って思いがち
「相手がこういうことに理解を示してくれるわけがない」って思われていたらなんだかむかつくことだし
「これを公開することによって相手は自分に幻滅して離れていくかもしれない」って思われていたらなぜまずジャブを打ってこないんだ?と思う、だって別にいきなり顔面ストレートじゃなくてもいいじゃん。
これは恋人の選択権を奪うことでもあるかもしれない。
たとえ近しい人でも自分のパーソナリティについてなんでもかんでも話す必要はないし、自分の好みや考えを相手にわかってほしいと押し付けるようなことが暴力的であることもわかります。
自分は昔から「心を許した人に隠し事をされていて、その秘密を共有する自分の知らない誰かと二人で嘲笑されている」というシチュエーションがめちゃくちゃだめなタイプで、そんなことあるくらいだったらどんだけ傷つく可能性があったとしても相手にまつわるあらゆる事象について全部知りたいと思う。
自分にとって人間関係でこのくらいだめなことって他にあんまりないので、地雷みたいなもんなんだと思います。このだめさが何をきっかけにして始まったのかは知らない。まあ多分なんかあったんだろうな。
信頼してもらっていないような気になるのかもしれません。
でも別にさっきも言ったけど、相手の趣味が自分にとって理解しえないものだとわかってさえいればアウトソーシングは全然いいんです。やったらええがなと思う。それについてお世話になってる人に定期的に菓子折りを贈るくらいのこともする。ただその人の名前と顔と、どんな性格だとか何が好きで嫌いかとかは知りたい。
あえて秘密にされることがとても嫌いなんでしょうね。
このへんかなり潔癖なのかもしれないですね。
考えてみれば友人関係においてはこういうことは起きないな。
そうなるとかなり自分の中で明確な線引きがされているみたいですね。
まだそのへんはハッキリ見えていませんがこれについて掘り下げたら少し自分が嫌いになりそうな予感があります。そのうち気付くんだろう。まあそういうときもあるだろう。