「PERFECT DAYS」は人の心にあり続ける自由な時間のことなのでは

midori_1
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最近、「PERFECT DAYS」という映画を15年以上付き合いのある友達と観に行った。

映画を観て大きく影響を受けた友達は1週間休暇を取って行ったことのない場所に旅行に行き、その土地で普段撮らない写真を多く撮り、もっとちゃんと残したいと思い、カメラを購入していた。

「平山(主人公)のように白黒で真上からの自然を撮りたいな」そう言いながら、買いたてのカメラに目を輝かせていた。

受けたい影響をなぞる様に設定をモノクロ(白黒)にして行ったことのない土地を練り歩きながら、それぞれの発見を共有する。

google mapにピンしていたカレー屋さんに並んで見つけた地面に↑30という落書き、道脇に置いてあった新品に近いチープカシオ、見落としそうな興味を見つけていく瞬間は楽しい。

「白飛びや黒潰れが激しくて何を撮ってるか分からんな」と友達は言う。モノクロなら尚更分かりにくいだろうなと思いながら、ちょっとずつ撮り方を教えたりする。

15年以上も付き合いがあるのに、その友達とは写真を撮りに行ったり、写真の感想戦はやった事がない遊び方だった。

自分も映画を観て大きく影響を受けた。多くの賞賛と酷評の考察を読み、考えを巡らせた。

自分の中では笑いながら観る楽しい映画ではなかった。台詞も少なく、演者の言葉を理解するというよりも、音を聴く感覚に近い。ヒーリング音楽が映像になったような感じがある。だけど、必要な映画だと思った。

自分が思った事として映画で伝えたい事は、「それぞれの人の中にあるルーティンとアクシデントを含めた自由な時間を見つめること」なのかなと思った。

主人公のルーティンの中にお昼時に写真を撮るシーンがある。

その写真は終始カラーではなくモノクロームだった。白黒にすると、いま自分の中の考えや生き方が自由に得られている状態という見方になるだろうかと考える。

また、色が白と黒しかないと自分のこれまでやこれから(Webサイトにもそれに近い表現があったような)を綯交ぜして自分だけに見える色が見えるような感じる事もあるだろう。それに近しい表現が章が終わる毎に回想と写真とコラージュして主人公のこれまでの人生を垣間見る描写があった。

写真を撮ってる自分として凄く考えるシーンだった。

上記に加え、数々のルーティンの中に挟み込まれるようにアクシデントが起こるシーンもあるのだが、主人公はそれが心地よいのか、トラブルの渦中に巻き込まれても言葉を発さず受け入れている(時折、苦い顔もある)表情を見せる。

おそらくその日々のルーティンもアクシデントも楽しんでいるからだろうからか...完璧じゃない事もあるからこそ完璧な日々。それを受け入れられたら、自分の心の中に自由な時間があり続けるよと主人公から思わされる。

自分は映画が発売されたら買う予定である。見返したいと思うタイミングで何度も観て考えたい。