幼少期・自然・野の遊び

mie
·

何書いてもいい場所って意外とあんまないんだけど、家の話が年末年始でめちゃくちゃ頭にこびりついてしまっていてどうしようもないので、ここで楽しかった思い出を書いて多少なりとも昇華させておく。

Twitterで書くほどのことではない。というかまとまりがなくなるのでTwitterでは書けない。

私は結構めずらしい環境で育ったと思う。生活環境はとにかく周りに自然が溢れていて、小学校高学年になるまではゲームもやったことがなくて(買ってもらえなかった)、外で遊び回っていた。

外で遊ぶといっても運動場や公園みたいなきれいに整った遊び場があるわけじゃなくて、その辺の川で割り箸と凧糸とスルメでザリガニ釣ったり、れんげの花で花輪作ったり、アキアカネを捕まえたり、そういう野の遊びをしていたというだけ。体力はあんま必要ないやつ。

童心のままに自然に紛れることができる野の遊びは楽しかったけど、小学校でちょっと自我が芽生えてきて、本格的に集団(というか社会)に属する必要が出てきた瞬間にこの世がつまらなくなったのを覚えている。

小学生になるまで、私は陰口というものを人から聞いたことがなかった。前の出席番号の子に同じ保育園の男の子の悪口を耳打ちされて初めて陰口という行為を目の当たりにして、そうだよね、変だよねと返してすぐに適応した自分が嫌だったのをまだ覚えている。そのうち勉強の方が楽しくなって、子どもの社会からもはみ出た、本ばかり読んでいる子どもになったけれども。

小学校での遊びの記憶はあまりない。めちゃくちゃでかいヤマモモの木があって、落ちた実のきれいなやつを拾って洗って食べていたのはよく覚えている。クマザサは指が切れるとか、血止め草の使い方とか、そういうのは友達に聞いて知っていったから、遊び方自体は変わってなかったのだと思う。

つくしとかも採っていた。当たり前だけど、田畑を管理している人がいつも見てるわけではないので、勝手にその辺の田んぼに侵入してれんげを摘んでいたとて怒られることはなかった。子どもだったし。そして私はそれを自覚して怒られない程度に遊ぶ嫌な子どもだった。

祖母の家にはアップライト式のピアノがあって、母も弾いていたらしい。古いピアノは縁側に面した狭いスペースにひっそり置かれていて、カーテンを開けるとふんだんに陽の光が入った。縁側のすぐそばには足袋のような形をした大きい岩が敷かれていて、そこから庭に降りることができた。あたたかいのでたまに猫が入り込んで岩の上で寝ていた。

今でも自然は大好きだ。中でも植物がいっとう好き。文化的なものへのアクセスのしやすさ、一言で言うと便利さ、がうらやましくて都会に住みたい気持ちもあるけれども、基本的には自然のそばにいたいし、そのそばで人生を終えたいと思っている。

家のことはあまり好きじゃないけれども、いい環境で育ったとも思っている。花の話はまたしたいな。