患いのはなし

mie
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高校生の時が人生で一番おかしくなっていたけど、体育の時だけ体育館の上に超でかい何かがいて、私をでっかくて赤い二つの眼で見下ろしていて、そいつのせいで人生が暗澹たるものになっている気がして、体調を崩していた。

最近、Twitterで躁鬱のエッセイ漫画を見た。双極性障害という名前は、ベクトルが二つあるという感じがしないので、躁鬱と書く。この方が実感に近い。読んでいるとほぼ自分に当てはまることだったので、病院で相談した。おそらくⅡ型で通院がほぼ月イチだから、主治医にもわからなかったんだと思う。

薬を調整して、今も飲んでいる。アトリアザールの仲間みたいな名前の薬。記憶が飛ぶタイプのやつだからちょっと怖いが、躁でも鬱でもない、フラットな自分というのが体験できているような気がする。

患いが長いと、自分のフラットな状態が自然と掴めなくなる。悲しくて動けない日があるのは当たり前になって、時々は訳もなく歯を食いしばってしずかに泣いている。私は鬱が長く、重かったので、少し上向いてきたタイミングで躁が発覚したらしい。

躁も鬱も私に虚妄をのぞかせる。それはずっと変わらないままで、鬱の時には超でかい何かが私を絶望させ、躁の時には私のほうから、肥大する自我に任せて、それが手に届くところまで行き着いてしまう。

私は二階堂奥歯が好きで、彼女が死んだ年まではなんとか生きていようと思っている。それまでなんとか、超でかい何かから逃げたら、戦ったりし続けなければならない。

白熱電球を使っていた時は、豆球にすると濃いオレンジの灯り自体が大きな何かの目玉に見えて、そいつと見つめ合いながら眠っていた。

いつかこの虚妄から解き放たれて、自由に暮らせることを願っている。