疲労とplayboyyEP2

migita
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11月つめつめ仕事のせいで、完全に疲れてしまって、飲み会の予定を断ってしまった。いま私ができる話はBLの話くらいだが、その話をするような飲み会ではなかったため、一生懸命話すのが無理だと判断したので、後悔はないが、申し訳なさはある。後悔はないが、申し訳なさはある、ということが自分には多いなあと思う。そろそろ年末なので、やっぱりちょくちょくカレンダーを買ってしまう。買ったカレンダーの数が、その年のストレスを表す、と思っているが、今年は中程度だと感じる。去年はTawanカレンダーを作ったが、今年は、JaabとJaneのカレンダーを作った。うまくいかない人生だ。

playboyyの2話を見る。ずっとおもしろいし、ずっとロマンチックなので、すごい。性を売ることと買うことがあって、それとは別に、シチュエーションを演じるということがある。そして、売り買いの狭間に落ちる存在があって、それが探される。売ることと買うことの狭間には、信じる、ということがあって、信じるということで価値が存在する。そのときに流通する魅力がなにか、ということが、画面の中に存在するそれぞれの全く異なる身体によってかなり明確に伝えられる撮り方になっているので、その部分に特に驚異を感じる。タナミン監督の作品は、War of Yのときも、Y Destineyのときも、かなり明確に、自分がどのような定型に欲望を掻き立てられるのかということを、立体的に知らせてくるところがある。私は、いままでBL享受において、最も欲望を掻き立てられることのひとつに「空洞感」がある。空洞感が求めるのは「鳴り」なので、「鳴り」を引き出してくれる存在が必要である、という定型が、私のBL享受のひとつの型だ。しかし、その型が、実写のBLで実現されていることはあまりない。あったとしても、そこに乗り越えるべき倫理的な要素が存在し、生身の身体がある以上、そのことが非常に大きく影響する。それは新たな視点として、必要なことだ。だから、はじめてといっていいかもしれない、この「空洞感」と「鳴り」が、playboyyには、かなりの精度で存在していると感じて、改めて、自分がどこに係留されるのかが、よくわかる。