旧姓のハンコ

mihohoi
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4月25日(木)

朝、息子から部活の入部届に親のハンコがいるので必要事項を書いて欲しいと紙を渡された。まだ眠気が残る頭で名前、住所、連絡先を書いていき、最後に引き出しからノールックでハンコを取り出し捺印する。捺印の文化がまだ残っていたことに驚きだったが、もしかしたら親が知らない部活に入らない予防線なのかもしれないと、そんなことをぼやぼやと思いながら捺印してから気づいた。

「これ、私の旧姓のハンコじゃん」

しまった、何も見てなかった。そういえばこの間部屋の大掃除をした時に発見して、捨てれずによく使う引き出しに入れたのだった。同じ種類のハンコだったから全然気づかなかった。慌てて線を引き、別のハンコで押し直す。息子にごめんと謝ると、全く気にしていない様子で「いいよ」と言ってくれたので一安心する。

元気よく7時前に登校して行った息子を見送り、散歩しながらどうして捨てれなかったのか考える。

私にとっては旧姓は大事な自分の名前の一つであり、夫婦別性の選択が当時あったなら絶対に苗字は変えなかった。そのくらい私の強いアイデンティティである。非常に当時から男女差について理解があり(「理解がある」というのも今となってはおかしい表現だと思う)家事を進んでやっていた家族(夫)でさえ、当時私が苗字を変えることを当たり前だと思っていたし、逆に妻の苗字に変えることには「父が許さない」「婿養子になるのでは」と言っていたのを昨日のように覚えているし、これだけは今となっても許せない思い出だったりする。何が「父が許さない」だ、私だって許せないよと、あなたの父親が許さなかったらどうだったんだ、そんなことなら結婚しない、など言えたらどんなに良かったか。(多分、今だったら間違いなく言ってた)早く夫婦別姓が選択できる世界になって男女どちらとも好きな苗字を選べますように。そして、それまで保持していた人間関係が苗字の変更によって探せなくならない事になりませんように。そんなことをハンコを見ながら思いを馳せた。

結婚してかれこれいい年数がたっているけれど、いまだに思い出して怒りが込み上げてくるということは、割と自分の中で消化できていない事案なんだなぁ。