ついに2023年最終日である。振り返ってみれば怒涛であった。そうはいっても、総括してみると『仕事・ライブ・ベース・犬』の4つが8割を占めている。毎日ひたすら働き、たまにライブに行き、よほど忙しくない限りはベースの練習をする。それでだいたい1日が終わる。幸せなことだ。
大晦日、家族は大掃除や料理の支度に追われるが、私は「犬と部屋にいるように」という指令を賜った。戦力外通告にも程がある。大晦日も普段通り部屋で仕事をすることになりそうだ。
11月の暇さが嘘のように12月は忙しかった。業務内容が前年とは変化しているため、書いている文字数は大幅に減っているのだが、毎日ひりつくようなタイトさだった。11月末に風邪を引き12月まで引きずるなか、ひたすらスケジュール調整をしながら爆走していたイメージ。合間に忘年会があって助けられた。
忙しいのは好きだし楽しいが、ふっと気力を保てなくなることがある。小さな違和感が胸のなかでしこりになってしまって、手が空くとそのことばかり考えていた日もあった。「つらい」というほどでもないが、なんだか気分が上がらない……という感じ。きっと誰にでもあるような。
そんななかで、ふと始めた気分転換が、思ったより功を奏している。それは寝るまえの小さな儀式だ。簡単にいえばアファメーションに近い。ただし、今からやることではなくて「今日偉かったことを褒める」というもの。こころのなかで思うのではなく、声に出して褒める。私はごりごりの睡眠障害だが、これを始めてから以前よりもすんなり眠れるようになった。
「予定通り仕事を進めて偉い。よく頑張った」「ちゃんと仕事もしてベースも練習したので偉い」……別にどれも普通のことである。遊ぶからには働かなくてはならないし、ベースも好きで始めたこと。しかし、そういう細かいことはどうでもいいのだ。
両親は私を褒めないタイプであった。他人がいると貶めた。わざわざ電話して注意する親戚がいるほど、けなす。妹は褒め、私をけなす、そして親戚が笑うのを見て喜ぶような親であった(※片方は存命で同居しているが)。そんな時代もあったおかげで、私は自己肯定感がマリアナ海溝並みに低い場所にある。結婚しているが配偶者も私を褒めることがない。何度話し合ってもだ同じ日々。だから他人が褒めてくれても猜疑心が生じるようになってしまった。浮気といった不道徳な行いはないものの、どちらかといえば衝動的で自制心がない。すべて勢いだけで走りがち。年を取り、その傾向が強くなっていると感じる。……このまま「自己肯定感が低い」ことを理由にいろいろおとなげないのは恰好が悪い。そんなわけで、自分くらいは誉めて、自己肯定感を変えてやろうと思ったのだった。
別に大したことをいっているわけではないが、すんなり眠れるようになったのはとてもよい。もともとアファメーションに興味があるのだが、続かなかった。そもそも自己肯定感が低いのだから、そこまでポジティブになりきれない。今のところは「今日偉かったことを褒める」だけでいいかなとも思っている。
すでにだいぶ大人の域も過ぎた。もうじきまたひとつ年を取る。そんな年になっても、私のなかには「子どものころの私」がいて、めそめそしたり落ち込んだりしている。昔はそんな自分を隠すために必死であった。強くなりたかったし、今でも揺るがない存在に憧れる。しかし、そこをめざすあまり、私は小さかったころの自分をないがしろにした。もっと若いころにきちんとケアをするべきだったと思っている。
そんな反省を踏まえ、自分を褒めてから眠りに就く。意外と悪くないので、来年も続けてみようかと思う。