この物語はフィクションであり、事実とは異なります。
と述べたうえで、語りたい物語が無数にある。
実際、脚本家や作家は本当に無から物語を作り出しているのかな。いっそback numberの清水さんみたいに「この歌は元カノのことを書きました」と言ってしまったほうが、信憑性がある。
「フィクション語り」のいいところは、世界へ自分の思いを匿名で発信できるところだと思う。「この物語はフィクションであり~」の注意書きの意味は、私には「この物語はあくまで想像上のもので、実際起きたことを言ってるわけではありません。自分のことなんじゃないか、と心当たりがあったとしても、それは気のせいです。」という、いちおうの保険なんじゃないかと思えてくる。
そんなフィクションだといいたい話を、今日これからこの私が語るのが本題である。それこそが表題の件、すなわち、「女の心はスウニビー」。
私が13歳になる年、すなわち中学1年のころ、あれこれ数字をいじくり回して「解答」と「公式」を真剣に考察する、あの、例の学問の名前が突如変化し、その名を「数学」と改めた。先日までは「算数」だったのだけど・・・その日から、私の人生は一転してしまった。数字が言うことをきかなくなったのである。
まわりくどい言い方をやめると、とにかく、数学が大の苦手だった。公式を理解しても、解説を読んでも、結局新しい問題は暗号にしか見えず、大問まるごと無得点はよくある。それでも数学は私を付き纏い、中学、高校と数学の授業を受けていた。
そして「算数」が「数学」になってから時は過ぎ、あらゆる人にとって人生の大一番である、であろう大学受験の日、私は「数学ⅡB」で奇跡の得点を残した。その点数、39点(100点満点中)。「奇跡」、つまり、自己最高得点。・・・それくらい、数学ⅡBは理解不能な科目だった。
それで、「女の心はスウニビー」という題名だけど、ここまで読んだ方は、私がどういう話がしたいのかわかってしまったかもしれない。すなわち、「女心は理解不能」ということだ。
かくいう私は性別女性として生きていて、男性とも女性とも関わるけど、誰かしらの女性の話をしているわけではない。これは他でもない私自身の話である。
いつだかの年末に、私のことが「タイプ」という男性と連絡先を交換することになった。彼は友人のそのまた友人で、いわゆる紹介で出会ったというやつだった。電話をしたり、ゲームをしたりして仲良くなった。彼はとても面白くて褒めるのも上手いので、私も早々に打ち解けてすぐに仲良くなった。
彼に可愛いだとか、こういうところが素敵だとか褒められて嬉しいし、彼は努力家だし、精一杯私を見てくれて素敵だなと思っていた。だから、告白されて断る理由がなかった。1月に入ってすぐのことだったと思う。
そんな嬉しい出来事があったその次の週、私はコンビニのアルバイトの休憩でこれを書いている。
なんでか、彼との関係に悩んでいる。誰かに相談したら馬鹿みたいとか、最低とか、一蹴されそうなことばかりだけど、なぜだか「結婚する気がしない」。でもそんなことを考えてしまっている自分も嫌で、胃がいたい。
彼からの好きをそのまま受け取らせてもらって、私も好きだと返しては見たものの、愛している実感がない。しっくりこない。仲良くなったっけ、とさえ思えてくる。あれだけ褒めてもらって、仲良くなって、とか言っていたけど、本当に仲良くなったっけ、気は合うっけ、と思えてくる。なんでか彼は私の本当に内面の部分なんて好きじゃないんじゃないかと思えてくる。これは防衛機制でいうところの「投影」ってやつなのかなぁ。
これはざっくり要約すると「最低な女の話」かもしれない。
だけど言わせてほしい。私にも辛いんだ。
愛せるならとっくに愛している。
この物語はフィクションであり、実際の人名・地名・出来事とは一切関係ないかもしれません。