利益の時代に疲れたら

三日月
·

昨日友人とも話したけど、現代は「利益追求」、「マーケティング」の時代だとか。

私も、昨年末は言葉の勉強がしたい!とかいって見つけた「コピーライター養成講座」、あれは今考えるとマーケティングの一環だったのだなあ。と最近思う。

ガチャガチャコーナーでよく見かける「カリモク60」という60年代の家具にフォーカスをあてた家具屋さんがある。私はガチャガチャでその存在を知った。

そのホームページで、コンセプトを読んだ。

"1960年代、カリモク60の家具が生まれたのは、 「流行」や「マーケティング」というものが生まれるずっと前、 純粋につくり手がものづくりをしていた時代。

そんなわたしたちの原点とも言うべきスタンダードな商品を作り続けること。 わたしたちらしさをずっと意識していくこと。 それが「カリモク60」です。"

ていうのを見て、あ、マーケティングがなかった時代もあったのか。

そりゃあそうだよな、人間最初は、木と木をこすって火を起こして、イノシシ肉を焼いて食ってたんだから。そりゃ、マーケティングにも起源があるよな。と思った。

私は今年23歳で、周りの同い年はみんな社会人として働いている。どんな職業でも公務員じゃない限り、そこに利益がつきまとう。いや、公務員でも、結局つきまとっているのかも。

全体の利益だか全体の幸福のため、結局国にも地域にもお金がないとどうにもならない。私だってお金は欲しいから、その気持ちはわかる。

だけれども、私が気づいたらコピーライター養成講座にたどりついていたように、私たちは本当に無意識のうちに、マーケティングに、商売に、利益追求に、捉われて生きてしまうんだ。そう、無意識のうちに。

損得で、お金になるならないで、有意義かどうかで、人生の選択肢を選んでいくことが、私にはまだせつない。私が青いせいなのかな。

利益を追求しないことが美しいとも思わない。だけど、わたしは目先の幸せに一生かまけていたい。自分が楽しい方をずっと向いていたい。ついでにお金がついてくりゃいい、とさえ思っている。花束みたいな恋をしたでいうと、絹ちゃんの生き方に賛成。

というか、私たちは幸せになるために生きてるからね。

という結論に、友達となった。