あくせくしたくなければ、あくせくしないでいるしかない

mikipond
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ようやく、赤ん坊と一緒にいるときの時間の過ごし方がわかってきた気がする。

この2ヶ月くらいは、やっぱり焦っていた。マメ氏が多少大きくなってきて世話にゆとりが出て、産後の損傷した身体も回復してきて、それならそろそろいろんな実のある活動ができてもいいはずだ、と思っていたのだ。

育児は自分の人生についての不安を煽られ、焦らされる機会に満ちている。フリーランスとして仕事を再開していく算段もつけておきたい、しかし保育園に入れるかどうかもわからない。その不安を解消するために、私の場合は過剰に”自己管理”に熱をあげていた。家事を少しでも効率化しようとか、マメ氏が寝ている間には少しでも有意義なことをしようとか……。

でも、それを繰り返していても無駄なのだ。産後、ありとあらゆる試みに失敗して、「あくせくしたくなければ、あくせくしないでいるしかないのだ」という単純な真実がようやく腑に落ちた。何かを効率化するとかタイムマネジメントをするとかそういう話ではないのだ。エクセルを使った単純作業の効率化ならともかく、赤ん坊というこちらの理屈が一切通じない圧倒的他者を前に、「今この瞬間焦らないでいること」以外の救済の道はない。

昨日はその考えをもとに、本腰を入れて「ゆったり」過ごしてみた。具体的に言うと、日中いちいちスマホで何かを見たりせず、朝から晩(寝かしつけ)までほぼ完全にマメ氏の相手と家事に集中してみたのである。

マメ氏の相手をしているときは、もうマメ氏のことしか見ないし考えない。一人で遊んでくれている間に何か調べ物を……みたいなことも一切せず、たとえこちらにすることがなくてもひたすらマメ氏の顔やら手やらを眺める。マメ氏が昼寝をしたからといってすぐさまパソコンや本に飛びついたりはせず、「有益なことを一切しなくてもいいならどうするのか」をいちいち考えながら次の行動を決めた。将来のことも、明日のことも考えなかった。ついつい見てしまう不毛なサイトはいくつか、ブロックアプリで完全に遮断した。

そうしたら、本当に穏やかな気持ちで過ごせたのだ。時間がとろりとまろやかになり、マメ氏と一緒にいられて嬉しい、という気持ちにも素直に浸ることができた。幸運なことに、これまでも特に子どもと一緒にいることを苦痛に思ったことはなかったのだが、もっともっといい気持ちでいられるのだ、と気づけた。

これってなんだか覚えのある感覚だな、と考えて思い当たる。出産直後の、病院で過ごしていたときの感覚に近いのだ。身体中ボロボロで、看護師さんたちに何もかも世話されながらも、ようやく会えた我が子とくっついていられて嬉しかった。「もう何もしなくていいんだ」という安堵感に満たされて、目の前の赤ん坊のことだけ無心に眺めていたときのあの感じ……。

それを思い出したせいなのか、マメ氏との遊びにも力が入った。YouTubeで調べたあやし方をいくつか試し、新しいバカウケを引き出すこともできた。家事も、いくら時間がかかってもいいというつもりでやったらかえっていつもよりいい具合にできた。

そうか、こうすればよかったのか……としみじみしながら夜はお茶を飲み、こつこつと手書きの日記を書いて過ごした。しかもそうしていたら、一日の総仕上げのように保育園の合格通知まできたのである。

合格通知はたまたまのラッキーだが、それがなくても充分「いい日だった」と思えただろう。そしてそれこそが「あくせくしない」の核なのだ。「あくせくすれば得られると無意識に期待しているもの」が本当に得られるかどうかに関係なく、自分をいい感じにしておくことが。

この日のことをちゃんと覚えておこう、と思っている。これからも育児が続いていく以上、いろんな局面で焦り倒すだろうから。

@mikipond
まめとき日記(豆と未樹の日々の記録)/宗岡(小池)未樹です。23年8月に生まれた子ども・マメ氏との日々のことをひっそり書いていきます。