「友達」とは何なのか

milkshake
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人間は難しいなと思う

小中高の友人とはもうほぼ連絡を取っていない。

小学校の友人はかろうじて昨年一人だけ数年ぶりに年賀ハガキが届いた。

中高校が一緒だった友人一人には貸しているDVDがある。

が、今はもうそれだけで、「すぐに連絡の取れるような縁」は消滅してしまった。

元々友人が多い方ではなかったが、思えばそんな年頃から交友関係というものにはどこかで辟易している部分もあったのだと思う。

学生時代の縁が消えたため、今の交友関係は全てSNSが繋いだ縁だ。

かと言ってSNSでは上手くいっているのかというとそういうわけでもない。

かれこれ十数年の付き合いになる友人がいるが、友人や自身を含めた共通の友人同士約10人ほどのグループがあった。

当初はよく全員で集まりもした。グループでの集まりは現在も続いているそうだが、耐えきれず私は静かに距離を置いた。今ではそのグループ内にいた2人としか連絡をとっていない。

確かに楽しい時間もあった。ただ、それだけではないのだ。

一緒にいる時間の中で、疲れやら悲しさを覚えてしまう時間が長くなると一緒にいたいとは思えなくなる。

自分でも勝手な話だ、とても傲慢だと思うが、誰もが等しく持つ時間なら少しでも楽しくいたいと考えてしまう。そうして自分の心の健康を優先すると交友関係が自然と淘汰されていく。

ただ、人間とは難しいもので、自らこの狭い交友関係を作ったにも関わらず、現状に満足できず、友達を増やしたいとどこかで願わずにいられない。

そうしてまた新たな出会いを求め、数年前に新しくハマった界隈で新たな交友関係を構築し始めた。

その界隈で初めて出来た一人の友人がいる。

元々その友人は書き手であり、私は友人のファンだった。

いわゆる「推しとファン」の間柄だった。

運命的な出来事があり、とある日を境に、毎週のように連絡を取ったり毎月のように会ったり(交友関係の狭い連絡不精からすればこれでも異常なまでに多いのだ)、友人として過ごすようになった。

とある日、界隈に大打撃を加えるほどの大きな出来事があった。友人と私には共通の知り合いが幾人かいたが、周囲と完全に断絶するようになった。私はまだその界隈にいるが、友人は少なくともその界隈との縁は切る、界隈をもう去る覚悟をしていた。

理解者はもう互いしかいない、と互いに背中を預け合うような共闘する相棒のような関係になった。

ただ、関係が変われば視点も大きく変わる。

一緒に過ごす中で、存外、友人はこちらに興味がないと感じることが多くなった。

こちらに興味がないと認識すると、思いの外苦痛であることを知る。

一人になりたくないから都合のいい相手として利用されているだけ?

背中を預けることは対等ではないのか?

一緒に過ごしていく中で大なり小なり疑問が浮かんでは、喉元まで出かかっては、その場で判断が追いつかずグッと飲み込んでいく。

一緒にいる時間の中で、疲れやら悲しさを覚えてしまう時間が長くなると一緒にいたいとは思えなくなる。

自身の中で確実に迫るリミットにどう対処することが正解か、

まだ答えは出ない。

@milkshake
ありったけの好きなものに囲まれておだやかに生きたい。考えごとから何かを見つけたい。SNSがやめられないどこかの誰かの書き留め。 基本脳内直結掃き溜め所