プロフィール用に。原文は2012年に書いていて、それを元に。
2024年2月1日追記 都度訂正や追記をしています。
実は、デビューの頃から、結構知っていたりはする。タイアップ曲なら、曲名もサビも知っていたし。
あれは、2006年の年明け。BSでやっていた番組を見た。彼等の故郷、因島が、尾道と合併することになって、彼等が、故郷にしたこと。島中の子どもたちを、因島の市民会館に無料で招待した。
ドキュメンタリーと公演、双方が放送された。
何故見ようと思ったのか、今となっては覚えていない。年末にインフルエンザに罹って、体調は最悪だった。年末に再就職した先で、辛いことが沢山あった。
何故、何となくしか知らないJ-POPの番組を録画して、2時間も見たのか。今だったら、やっていない。多分。
小学生、中学生、高校生、という区分でライブをしたので、曲によっては、小学校低学年が呆然としている横で、先生が盛り上がっていたり、照れながら手を振る中学生(観客も一緒に動く、というのが彼等のライブの醍醐味)、間もなく人生の岐路に立つ高校生が、彼等を先輩として見ている表情、彼等が、自分の巣立った小学校と、通っていた高校(撮影当時取り壊し前だったような)で見せた、田舎出身お兄さん風に、あれこれと喋る内容。
ドキュメンタリーの部分、興味深かった。田舎から出て来たわたしは、彼等の喋る話に共感することも多かった。おっと、わたしは町民だったので、「田舎」で括るのは乱暴ね。ごめん。
初めて、歌詞と曲を通して聴いて、わたしは、歌の持つエネルギーと、岡野昭仁、という人の歌声に、圧倒された。
但し、この時、新藤晴一を気にすることはなかった。
彼が歌詞の多くを担っていることは、その後で知った。楽器奏者の大きさ、を感じ取るようになったのは、直接公演に行ってからだ。
いろいろなことを好きになったけれど、飽きることもあったし、何より、嫌いになることも多々あった。
小学生の娘三人と暮らしていると、あれやこれやと忙しかった。何かを好きになることが、面倒になってきていた。
今、このひとたちを好きになって、また、前みたいになったら、嫌だなぁ。
でも、気がつくと、わたしは、因島の映像を思い出していた。もう、見ないと思って、ビデオ録画をすぐに消したのを、後悔した。その後、総合で、再放送してくれた!地デジじゃないので、ひどい画像だったけれど。何回も何回も見た。
ブルーレイレコーダーを使うようになって、テレビ番組を録画したビデオテープは捨てたが、これだけは捨てられない。
とうとう、彼等のベストアルバム、まで買った。ベーシストがバンドを離れたことも、この時認識した。
その夏。
アルバイトから契約社員に切り替わった時に、研修で一緒だった女の子が、ポルノグラフィティ(の新藤晴一)を大好きだった。わたしよりも一回り以上若い彼女と、話が出来るようになったきっかけは、ポルノグラフィティだった。彼女はデビュー当時から好きだったそうで、彼等のことをあれこれ教えてくれた。
その時、TVから流れていたのが、『ハネウマライダー』。このタイアップ、どのくらい浸透していたんだろう。もう客観視出来なくなっちゃった。
これ、ペットボトルについているシールを集めると、限定ライブに応募出来る、というキャンペーンがあって、こういうキャンペーン、普段は応募するどころか、分別の時のシールが邪魔でいらいらする方なのに。
飲んだ飲んだ飲んだ飲んだ飲んだ。勿論、自分一人じゃ間に合わない。同期になったばかりの他の同僚も協力してくれて、ダンスのレッスンに行く娘たちにも飲ませて、せっせとシールを集めて、
はい、外れました。
それでも、いつ以来だろう。自分のために、『シングル』CDを買った。
発売直後じゃないけれど、間もなく出たアルバムも買った。聴く暇がなかなか取れなくて、結果的にこれは、子どもたちが最初に聴いたアーティストのアルバム(ややこしいな)、になったのだけれど。
2007年。ツアーが来るっていう。
その日は、よりにもよって、運動会だったのだが。某フリーペーパー先行で、チケットを取っちゃった。本当に、どうしてそんな勢いがあったんだろう。今となっては、これもまた、不思議でならない。
運動会から、真駒内に直行した、2007年6月。
お供は、吹奏楽でパーカッションを始めたばかりの長女。スタンド席の隅っこだったが、今となっては、そんなことどうでもいい。
照明、すごかった!!!芝居の照明ばかり観ていたわたしには、紫のライティングなんて、眩しいのなんの。
何でも、配偶者によると、音楽やダンスは、光をはっきり見せて効果的にする、とかなんとか聞いた記憶がうっすら。
サポートメンバー、すごかった!!!この時は、パーカッションの方も来ていて、長女はビジョンにパーカッションの楽器が映ると、ものすごく喜んでいたのを覚えている。わたしも喜んだ。誰のツアーを観に行ったのよ。
お客さんたち、すごかった!!!曲に合わせて手を振る、なんて観たことがなかった。行き慣れていらっしゃると思われる、前の座席の方に合わせて、頑張って手を振り、ハネウマでタオル回しをするのを、無理矢理長女に押し付けた。そう言えば、ハネウマが1曲目、って、この後あったかなあ。思い出にって買ったタオルをいきなり使うことになったので、Aメロ辺りでびりびり袋を開けていた。今更ですが、すみません。
みんなで歌う『アゲハ蝶』、スタンドの隅から見たアリーナは、壮観だった。みんなで踊る楽曲、っていう、配信限定曲まであって、振り付けもあった!恥ずかしくて覚えていかなかったんだけど。ツアーのキャラ(注:フラッディ)が、ご丁寧に、開演前から教えてくれるという。
演奏中は、どうしたか、覚えていないです。
改めて、岡野昭仁、という人の、歌う力には驚いた。歌い上げる、とは、違うのね。歌う、のね。真っ直ぐ。しかも、歌詞が届くのなんのって。CDと同じじゃないか。
喉からCD音源、という言葉をSNSで見かけたのはずっと後。今、ライヴでは原曲越えの連続。
更に、MCコーナーで驚いた。この時は、この会場でフィギュアスケートの試合があって、その真ん中で転んだんだよね?という話題で、自ら滑ったとか何とか言っていたような。もう17年近く前なので、と逃げる。
さて。
新藤晴一、を、わたしはやっと認識する。何だ、このクールな兄さん?しかし、すごい人気だぞ???
このツアー、晴一がシングルのカップリングで『歌った』曲を披露した、貴重なものだった。一人で、舞台の真ん中に出て来て、歌って、学校の授業のように礼をしてたっけ。
最後に、観客に対して挨拶をするのも、恒例のことなのだが、その時初めてだったわたしと長女には、新鮮だった。
面白かった!!!行った後、すぐに、当初の懸念を自ら吹っ飛ばした。
しかも、観た直後に、新しいアルバムの発表があって、その年の暮れに、次のツアーの発表も来て、2008年年明けには、すぐ観られるという、人を掴んで離さないタイミング。今、自分で読み返しても、すごいタイミングだと思う。
アルバムを買った。
ツアーのチケットも頑張った。ところが、モバイル先行は、一人しか取れない。今回は、次女も行きたいという。一般発売、電話をかけるかけるかける。家電、わたしの携帯、娘の携帯、全てを駆使。(特電というシステム、2024年にはあるんだろうか)
何とか間に合ったけれど、整理番号、1800番台???
次のツアーは、Zepp。1月のZepp。屋外で30分以上並んで、寒かった、というか、痛かった記憶は、16年経った今もしっかりとある。ツアーも、どうしてこの時期に、しかも4日も組んだの。
と、この後何度も思うことになるのを、2008年のわたしは知らない。尚、4日間、来てもらうのは大歓迎である。
さて、内容は。寒中だろうが何だろうが、行ってよかった。箱が違えば、ツアーの雰囲気も全然違っていて、その空間にいられて。
楽しかった!!!
このツアーのチケット入手に懲りたわたしは、とうとうファンクラブに入ってしまった。屋外、かじかむ手でボールペンを握りしめたのを覚えている。その時の申し込み控は、未だに、カードの会員証と一緒に、財布に入れている。
途中、体調不良で、もう聴けないかも、と、何度も何度も思ったけれど、2024年の今も、ファンクラブ、loveup!会員です。
いろんな曲に思い入れがあって。
初めて行ったライヴで、『ヴォイス』をやってくれて、喜んでいた方がいっぱいいたなぁ。
わたしは、まさかやると思っていなくて、長女に飛びついて喜んだっけ。長女は、わたしが飛びついて喜ぶ人間だと思ってなくて、かなり驚いたらしい。
ここまで書いて気づいたけれど、もし、あなたが、ポルノグラフィティを嫌いだったら、ごめんなさい。
因みに、『ヴォイス』、聴いてみて。
20240302追記
わたしが灰になる前に「愛が呼ぶほうへ」が流れてたらいいな。ポルノグラフィティを聴き続けるきっかけになった楽曲だから。