祖母は戦時中に高等女学校にいた。
大嫌いな英語を勉強しなくて済むようになったのはうれしかったけど、とにかくひもじくて、勤労動員で家から引き離されて、要領の悪い子は紡績工場で性根のまがった先輩たちにいじめられて、夜ごと「家に帰りたい」「おかあさん」と言いながら泣いていた。毎日嫌だなあ、でも仕方が無いしなあ、と思っていた、という。
高等女学校にはお金持ちの家の子も、貧乏な家の子もいた。
ある日、お金持ちのお家のお嬢さんがパンを持ってきた。お家でお手伝いさんに焼かせたパンだったらしい。彼女は、取り巻きの数人と自分だけでパンを食べた。苦かったらしいが、代用食で変な味のものに慣れ切っていたのと、とにかくお腹が空いていて、あまり気にしなかったらしい。祖母たちは横目でそれを見ているだけだった。
少したって、パンを食べた全員がばたばたと倒れて、吐いて、苦しみだした。先生が飛び出してきて介抱したが、原因がなんだかよく分からない。みんな医療機関(診療所だろうか。そんなに大きな病院があの辺りに機能していたのか、聞いてみないとわからない)へ運ばれていった。
結果的に、一番パンを食べたお嬢さんは死んでしまった。他の子たちも随分苦しんだそうだ。お手伝いさんがふくらし粉と間違えて、パンに殺鼠剤の粉を入れていたのだという。ネコイラズとか石見銀山とか呼ばれるやつで、おそらく砒素だと思う。
お手伝いさんがどうしたかは覚えていない。罪悪感に耐えかねて、何か取り返しのつかない選択をしたかもしれない。
こんな話を、祖母は淡々とした。