やりたいことも、やらなければいけないことも、たくさんある。それは幸せなことだと思うのに、どうしてかときどき、底の見えない穴をのぞいているような気分になる。
花はうつくしい。人も、音楽も、もちろん物語も。世界は広くて、いくらでもすばらしい部分を見つけられる。きっとすべてに意味はないけど、それでいいと思う。存在することは、それ自体が存在をゆるされている証だ。
ぐるぐると考えていると、自分が高尚なもののように思えてくるから良くない。一番えらいのは、毎日きちんと「生活」をしている人だ。そう思ってクッキーをかじった。
昔使っていた色鉛筆は、赤色がいちばんちびていた。赤色は、特に好きな色でもなかったはずだけど、私はこの赤で何を描いていたのだったろうか。
赤といえば、赤白帽子を思い出す。小学校では、クラスに1人は赤白帽子をウルトラマンのようにしてかぶってみせる子がいて、(帽子のつばを、頭頂部にくるようにするのだ)私はそれがうらやましかった。みんなの前でふざける勇気がなかったので、家でこっそりまねをしたのを覚えている。
人には明確に、努力でどうにもならない向き不向きがある。最近ようやく、そのことを受け入れられるようになったと思う。人と違うことを、悪と決めつけることだけはしたくない。自分のためにも、やわらかな心で相手と話せるようになれたらいい。
BGM:「ファミレスを享受せよ」より