便利になっちゃった言葉

南田 波
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去年から、過剰に意味を持ち過ぎた言葉というものに気をつけるようになって、「共感」もそのうちのひとつだと思っている。

何か今、世の中で使われている「共感」の9割くらいが地に足を付けずにふわふわ浮いて遊んでいるまま人と人との間で交わされているように感じる。

特に「共感"できる"」という言葉は、もはや共感できないことが悪とされているようにさえ感じる。まるで「共感」を神様みたいに無条件に信仰した結果、軽くなって浮ついているようだ。

共感は悪ではないが、共感できることが全てではないし、共感できないこともまたいいことだと認識されている社会がいいのではないかなと思う。