のし袋

minamiyoshida
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私の父方のばあちゃんは95歳。ほぼ丸々1世紀を生きている。

自分の足で歩いて、卵焼きを焼いて、ご飯も少量だけど食べている。毎週月曜日はデイサービスに通って、いろんな運動をしたり、歌を歌ったりしている。以前ほどではないけど、たまに家の庭を散歩しているらしい。髪の毛もパーマをかけたりカットしたりして楽しんでいる。

記憶力も半端なくて、近所の人の家族構成、職業はもちろん、昔の出来事もよく覚えていて、父のほうが「この人は何の仕事をしてたんだっけ」とばあちゃんに聞くこともよくある。

そして帰省するたびに「少ないけど」と言いながら、お小遣いをのし袋に入れて渡してくれる。もう私は26歳になったのに、ばあちゃんの中ではいつまでも小学生の頃の私なんだろうな。

こうやって書くと超元気な95歳だな。

ただ、ここ数年はお腹の調子が良くない日が多いらしく、病院に行くも、先生から「95年間も一日も休みなく働いたら、内臓だって調子は悪くなってくる」と言われるらしい。笑(薬は出してもらっているらしいのでご安心を)

そんなばあちゃんは、車で8分ぐらい、歩いたら45分ぐらいかかる元の家(父の実家)から、私が小学生の時に私の実家の真横に引っ越してきた。

3人姉妹の末っ子、両親は共働きで家に帰っても誰もいない。そんな生活だったのが、帰ったらばあちゃんがいるのが嬉しくて、帰宅後はほぼ毎日ばあちゃんちに行った。

時間的には天てれや夕方クインテットが放送されている時間。テレビを見ながらばあちゃんが出してくれるおやつとアイスを食べて、母から「晩御飯が入らなくなる」とよく怒られた。

ところで全国のばあちゃんちにアイスが大量にあるのは何故なんだろうか。常時5種類ぐらいストックがあるのも、ばあちゃんあるあるだろうな。

そんな生活は中学を卒業するまでずっと続いた。高校に入ると帰る時間が遅くなって、毎日のようには行かなくなったけど、それでもばあちゃんちは私にとって大事な場所だった。

話は変わるが、高校で写真部に入った時に、実家の前の桜の木の前でばあちゃんの写真を撮ったことがある。初心者の頃に撮ったものだから、技術もへったくれもないし、色も濃ゆすぎるぐらいの印刷で、今見ると恥ずかしさを覚えるけど、「遺影はミナミちゃんが撮ってくれたこれって決めてる」と言ってくれている。

「技術が高いから」という理由ではなく、「私という人間が撮ったから」が理由で大切な写真として選んでくれているのだ。写真を撮る人間として、これ以上の褒め言葉があるだろうか。

3人姉妹の中では、そうやって一番長く時間を過ごして、いろんな話を聞いたり、実家を出てから一番多く会いに行っているのは、間違いなくこの私。胸を張ってそう言い切れる。

私にとってばあちゃんは、派手な愛ではないけど、じんわり沁み入る愛情を深く与えてくれた人なのだ。

だから、そう遠くないであろううちその日が来るのが怖い。怖いというよりは覚悟はしているけど、来てほしくない、のほうが近い。

帰省するたびに、「もしかしたらこの会話が最後になるかもしれない」「こののし袋が最後になるかもしれない」「この自撮りが最後の2ショットかもしれない」という考えが、どうしても頭をよぎる。

仮にそうなったとしても後悔がないように、できるだけ帰るようにはしているけど、実際その日が来たら私は、うん、かなりキツいと思う。

しかも私は1年半日本を離れる(予定)だから、その間にその日が来たら本当に、めちゃくちゃ、超絶キツい。

もちろん覚悟はしている。でもそれを考えるだけで涙が出てくる。

だからと言って悲観的になるのではなく、毎回の帰省を大事に、いろんな話を聞いて、卵焼きを味わって、写真を撮って、たまに電話して、バイバイの時の「またね」で「次」をどんどん先延ばしにして、ばあちゃんが生きている証を私の中に落とし込む。それが私ができるいちばんのばあちゃん孝行だと思う。

ちょっとオチは分からないけど、ばあちゃんを大事にしようって思った、というお話。