1月1日(月)
年が明けた。お節と大量のお刺身を黙々と食べ続けていたら昼になっていた。食後、先延ばしにしていたノートパソコンの初期化を始める。1、2時間ほどで終わるかなと思いきや、これを書いている夜中になってもまだ終わっていない。どういうことなの。
初期化を見守りながら、好きな配信者のあけおめ配信をお供に甘皮処理をする。家族も各々自由に休みを満喫中。そんなお正月らしいまったりとした時間が流れる最中、突然コメント欄に溢れ出す「揺れてる」の文字。配信者の地域もかなり揺れているという実況に慌ててNHKをつけたら、あちこちから土煙が立つ石川県珠洲市のライブカメラ映像。愕然とした。今日は元旦なのに。
ほどなくして津波警報が発令、アナウンサーが叫びながら避難を促す。自分の住む地域は確実に安全な場所。祈るしかない。テレビの前から動けない。ちらりと覗いたXは地獄の様相で、すぐに見るのをやめた。
夕方。長いことニュースを眺め続けて消耗したのか、急激に瞼が重くなって少し眠る。目覚めたあとは素早くお風呂に入ったが、今度は眠れなくなり、気晴らしにネイルをして過ごした。それでも震災の情報からは目が離せない。乾かす間はずっとスマホと睨めっこ。
1月2日(火)
昼から友人と初詣。待ち合わせて地元の神社へ向かう。示し合わせたわけでもないのに、お互い鞄のほかに相手への手土産をぶら下げていた。
今日は雲ひとつない快晴の空。曇りがちだった昨日と比べて絶好の初詣日和だったからなのか、着いたらズラーっと長蛇の参拝列。これは長くなりそうだと覚悟したけれど、あれこれ近況を話し合っているうちにもう順番が来ていた。5円玉がない。お賽銭はいくらがいいんだろうか? 気持ちの問題じゃない? それもそうか。などとお参りを済ませる。
おみくじを引いたら、ふたり揃って「吉」だった。特に目まぐるしい変化はないらしい。それがいちばんよ。お守りも買おうとするが、ピンとくるものに出会えなかったので別の神社へも行ってみることに。初詣のはしご。
しかし、もうひとつの神社は最初の神社の比じゃないくらいに並んでいたので参拝は断念。目当てのお守りだけ見に行く。随分良さげなデザインが揃っていて悩まされた。一目でピンときた赤い「復活」守りにすべきか、今年のラッキーカラー(らしい)オレンジ色の「開運」守りにすべきか。結局決めきれずに、片方は母へあげることにしてどちらも購入。どのようなお守りを選ぶのかということが、今年一年をどんな年にしたいのか、という目じるしになるようで面白い。
友人とは、いつか沖縄に行く計画を立てようという話をして別れ、帰路へ。帰宅して母に選んでもらった結果、やはりあなたは運が開けるほうがいいんじゃない? ということで、自分は開運お守りを、母は復活お守りを持つことになった。母は昨年までの大殺界で心身ともにやられっぱなしだったので、ようやく抜け出せるらしい今年はこのお守りと共に無事調子を復活させてほしい。
夜のうちに今年のやりたいことリストをまとめようとしたが、羽田空港の旅客機と海保飛行機との衝突事故に関するニュースを見ていたらそれどころではなく。明日も親戚が来るので時間がなさそう。いつ書けるかな。
1月4日(木)
毎年そうだが、三が日が終わるとお正月気分でいたくともじわじわ迫ってくる日常を否が応でも肌で感じてしまう。心と身体が相反して、時間を有意義に使えないことが多い。なので、そんな未来の自分を見越し、昨日のうちにやるべきことをリストアップしておいた。これらをひとつずつ済ませることで、満足度の高い1月4日にしていく。植物への水やり、漢検の受験申込、PC初期化の再挑戦。結局初期化は元旦から丸二日以上経っても再起動に進まなかったので、電源を落とし、再度臨んでみたら数分もせず進んでズッコケた。
あとは、やりたいことリスト100の設定。2023年の振り返りに続き、しずかなインターネットへ置いておこうと昨年末からちまちま書き出していたものをまとめていく。けれど、書けば書くほどに「これは今設定して何になるんだ?」という気持ちに苛まれ、進まない。
1日の震災にまつわるニュースを連日見ていると、日に日に被害状況が明らかになっていき、被害者数もどんどん増えている。穏やかな年の初めに突然、防ぎようもなく命を奪われ、土地を奪われ、生活を、日常を奪われ。そして今この瞬間にも奪われ続けている人たちがいる中で、こんなことを、わざわざリスト化している意味って何?
こうして日記を書きながら被災地に思いを馳せ、そして考えを残しておこうと書き出していく。けれど、言葉を綴ることが難しい。考えて悩んで選び取ってまた考えた言葉でも、どれも的外れで意味がなく、烏滸がましく思えて仕方がない。書いては消し、書いては消し。無力さに落ち込んで。リストをまとめているときも似たようになって、無駄に時間がかかった。
夕方頃になんとかまとめきって公開したが、明日にはもう公開範囲を自分のみに戻そうと思っている。年の瀬にまた思い返すだろうから、ちゃんと年始には設定したんだよという記録のため、ここに残しておく。
夜。推している配信者たちの年始配信を観る。泣くほど大笑いしたのは年が始まって以来初めてだった。本当に面白かった。親からも「何がそんなに面白かったの」とからかわれる。気持ちが晴れた。今日は尚更ありがたかった。
1月5日(金)
買い物から帰ってきた母が「頭が痛くてふわーっとする」らしい。血圧を測ってみるも普通、熱を測ってみるも普通。くるくると目がまわるタイプではなく、ふわふわと浮かんでいるような心地がするタイプのめまいっぽい。調べると脳からくる頭痛の特徴らしく、最悪の原因に脳梗塞や脳出血の文字が並んでいて焦る。手足が痺れてたり、うまく話せなかったりするかと聞いてみたが、どちらもいつもと変わりないようで良かった。
結局、それから母はずっと眠って過ごしていた。もしかしなくても、睡眠不足ではなかろうか。母は出勤の関係上、いつも早朝に起きなければならないのに対して、寝床につくのは日付を跨ぐ頃。5時間も眠れていない日がわりとある。原因は仕事のみならず、同じ家に住む家族にもある。自分含め、家族が何事も自分のことを自分でやっていれば、母はもっと早く眠りにつけるはず。
予兆なく突然死、あとから思えば睡眠不足だった、なんてこともあり得る。母の睡眠負債は確実に大きい。断言できてしまうから心配。なんでもかんでも母に甘えっぱなしの生活を改めないと。
1月6日(土)
やはり朝になっても母の頭痛は治らなかったようで、父に送ってもらい病院へ行っていた。地元の脳神経外科では特に大きな問題は見られなかったらしいが、念のためにと、別の大きい病院で検査するよう案内されたという。とても不安そう。ただ、検査結果に対してではなく、検査中の恐怖に耐えられるかどうかを何よりも危惧していた。極度の閉所恐怖症である母にとって、MRIでの検査は酷すぎる。
結果、病院から帰宅した第一声は「この世に生まれて一番怖かった」だった。安定剤も飲んだが、あまり効かなかったらしい。まだ死ぬほうがマシかもしれないとまで言っていた。もうそんな怖い思いしなくていいように、健康に気をつけて生きていこうね……。
父に言われた「子供たちが心配ばかりかけるから」という小言が頭から離れない。すぐ誤魔化されたが、事実なので何も言い返せなかった。社会復帰できない自分がクズであることは間違いない。甘えきっている。
今、そういうことを延々と考えてしまって眠れないまま時間が過ぎている。
1月7日(日)
今年はなんとか料理を覚えたいが、なかなか厳しい道のりになりそう。朝、余っていたアボカドを適当に切って適当な調味料と混ぜ合わせただけの、料理とも呼べない代物を作るだけで想像以上に時間が過ぎていた。絶望的だ。世の人は料理にどのくらい時間を割いているのか。みんな偉大すぎる。
昼。母に誘われてお出掛け。あとになって、休みの日はなるべく家から離れたるようにしたいと告白された。母にとって今の家は満足に休める場所じゃない。やっと自分を苦しめるものから「逃げる」よう思考がシフトしてきたのだな、と感慨深い気持ちになる。
非常に真面目な人なので(本人はそんなことはないと言い張るけれども)、ストレスの対象にも正面から向き合い、いつも傷ついている母。変化のきっかけは、間違いなく近頃の不調続きな身体だろう。現在の体調は、ある意味で、母の心にとっては良いことなのかもしれない。