夜。阪神・淡路大震災から29年というニュースを見ながらの母と会話。
29年前、自分はまだ生まれる前の出来事。震災に関するニュースや当時の映像はこれまで何度も見てきた。今日の追悼のニュースでも、6434人もの犠牲者が出たのだと報じられている。なのに、何度見ても、その想像が追いつかない。
6000人以上の人間が犠牲となる規模の災害がとんでもないことはわかっているのに、それがどれだけ悲惨で、どのくらい恐ろしくて、そのときの日本がどんな空気だったのか。身の芯のところまで染みていないことを自覚している。だから、いつもニュースを見るたび「うまく想像できないな」と思っていて、今日も同じようにそう思った。これが当事者でないということ。
母は、確かに生まれる前だったねと納得しながら「とても酷かった」「まるで戦後のように家屋が焼け崩れて、絶望的だった」「怖かった」と噛み締めるように話してくれた。「思い出しても辛い」とも言った。
私が阪神・淡路大震災の惨さを想像してもしてもしきれないように、2011年以降に生まれた人や、これから生まれてくる人たちは、何もかも飲み込んでいく濁流の恐ろしさや元旦に地震に襲われるという空気を、想像してもしても、本当にしきれるものではないのだろうと思うと、次へと伝えることがいかに大事で、その上どれほど難しいことなのか痛感する。どれも被災していない人間がこうなのだから、実際に被災した方々にしてみれば尚更に。
あの日、あの時間、あの瞬間の恐怖の空気をリアルタイムで身に浴びた人間にとっては、それは真空パックのように保存され、些細な揺れだとしても瞬間的に当時の記憶が脳裏を過ぎるけれど、経験のない人間にそれはない。過ぎる恐怖の存在が、実際に被災した際、その先の生死に繋がるかもしれないということを考えると、これからの人々が全く想像できなくとも、実感できなくとも、しつこいくらいに、うざったいくらいに何度も何度も、いかに恐ろしい出来事だったのかということを、繰り返し伝えていかなければならないと感じる。
どれらの被災者でもない、映像を見てばかりの人間が偉そうに言えることではないけれど、それでも、そんな人間がこれほどに伝える重要性を感じるということが、何より恐ろしさの証明になるのではないかとも思う。