真ん中でありたいのに難しい

mincho
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先日、大学の友人とお決まりの近況報告をしていたら、

「もちろん今も悩んでいるんだろうけど、悩みのレベルが違くなった気がする。全体を見れば、今はすごい上がってる感じ。前は本当に心配だったからさ。前の悩みと比べたら、幸せなんだろうなって思うよ。」

と言われた。

ずっと心配してくれていた友だちからの、この言葉は正直胸にくるものがあって、なんだか泣けてしまった。

まずは心配してくれる人がいるって、こんなにありがたいことなんだなぁと思ったこと。

そして私は今、暗闇の中から這い上がれているんだと自他ともに認められていること。

じんわりと温かくなったし、なんだか生きてるって感じがしたのかなぁ。なんだろうあの気持ち。しみじみと嬉しかった。

たぶん私は今幸せなんだと思う。

悩みもあるけど、それも含めてなんだか幸せ。

なのに、幸せな自分を噛み締めることができなくて。

こんな幸せってことは、すぐ悪いことが起きるんだろうな、とか、幸せになるとすぐ調子乗るからな、とか。

すぐ不幸な自分でいようとしてしまう。

幸せな状態でいることに慣れなさすぎて、そわそわして落ち着かないんだろう。

どっぷり幸せに浸かってしまえばいいのに。たぶん少しくらい調子に乗ったっていい。

真ん中は空いてない。すぐ埋まってしまう。

振り切ってしまう。

自分が幸せでいることをうまく言葉で表現しきれない。

一番、きつかったときに出てくる言葉、感じているものは、私そのものから出てくるものだったから、私自身、そのときの自分の感覚が一番好きだった。

何にもなくなってしまって、持っているものは自分しかなかったからなのかもしれない。

でもそう思うと、今はいろんな人の影響を受けて自分ができあがっている。

だれかが自分とは誰かによってつくられたものでしかないと言っていた。

今の私はだれかにつくってもらっているのかもしれない。

だとしたら、今私の周りにいる人たちは、自分が大切にしたいものを持っている人たちだから、とてもとても大好きで、そんな人たちでできている私のことを、昔よりも好きになれている気もする。

まだまだ幸せを味わうことは苦手なんだけど、そのうち幸せな自分を楽しめるようになるかもしれないと、少し希望が持てました。

@mincho
渋谷にある共創施設の運営スタッフの傍ら、編集者・ライターのアシスタントを始めました。文章を書くことの楽しさ、言葉を大切にする人の尊さを実感する今日この頃です。