新年お決まりの連絡の一つ。
おじいちゃんから届く駅伝母校の順位を祝うメッセージ。
一昨年に、自分の家族のいざこざがあったことから、祖父母の家に集まることはなくなった。
それでもLINEをくれる祖父母を愛おしく思い、会いにいかねばという気持ちもあるが、どんなに対話を重ねても価値観の違いに絶望するのが怖くて、会うのが億劫になってしまう。
今年も、新年1発目からうんざりしてしまった。
学歴が全ての時代に生きていた人たち。それが当たり前の世の中で生きていれば、なぜ私がこんなに悶々としているのか理解もできないんだろう。
世の中がそうさせたのだから、おじいちゃんは悪くない、と割り切れればいいのだが。
『◯◯の学校を出ていること誇りに思った方がいい。それがあなたのアイデンティティなんだから。』
就活の時から、私はこの言葉に違和感を覚えていた。
『◯◯の学校だから賢いんだろうけど、普通なんだよね』
と言う面接官。言いたいことは多方面に及ぶが、まずは前半の部分。
私の良さは賢さではない。
むしろ賢いなんて思ったことがない。
◯◯という学校は、大学受験をした人たちからすれば、滑り止めの学校で、恥ずかしいと言っていた。
私は中学校からエスカレーターで大学に進んでいるので、劣等感がとてつもない。
世間一般的に見ても、とても誇れる学校とは思えなかった。
それでも私の家系では最高学歴。
学歴を背負わされ、なぜ新卒を捨てるのかと、家系の期待を背負わされている気持ちになった。
私はこの学校を出ていなかったら、なんのアイデンティティもないのだろうか?
学校の日々の中で培ってきたものは賢さではない。もっと優しさとか泥臭さとか学校のカースト事情とか、どろどろとして一言では表せない、それでも私は私を創ってきた日々を、大切に胸に持っている。
どうして学歴一つで人間を語ろうとするのか。同じ学校としてくくるのか。そんなに学歴がすごいことなんだろうか。
ひけらかすのは良くなくても堂々としていればいい、なんて言わないで。
私は誇りたくないんです。私を学校の名前で見ないで。私の中身は全然違うのに。
いくら説明しても通じ合えない気がして、ありがとう。と返信した。
世代の違い、と片付けてもいいものなのか。
どうやってみんなは説明してるんだろう。この違和感、私が間違ってるんだろうか。