中学生の時に田園都市線に乗って通っていた。
感覚的には2週に1回くらい人身事故によるダイヤの乱れで遅延していたと思う。
中学1年生の時、人身事故の本当の意味を知った。
誰かが飛び込んだかもしれない、という意味の単語が、こんな頻度で駅のホームで放送されていたんだと衝撃を受けた。
会ったこともない顔も知らないすれ違ったことすらない、そんな赤の他人の死は、ただただダイヤに乱れを起こし、車内はイラつきで殺伐とした空気にさせる。
大人になるにつれ、この世からいなくなった誰かを思い浮かべることなく、帰路につくため、淡々と事を進めていく。
中学生の頃感じた衝撃は、大人になった今、人身事故と聞くたびに、そんなこともあったなと思い返せど、あの感覚は薄れてきている。
どんな思いを抱えて。
絶望の淵だったのか。
解放感すら覚えたのか。
誰も見向きもしないこんな世の中だから。もう手放してしまおうと思ったのか。
想像もつかない。
でも、わからないこともない。
選択肢として、生きることしかできない。という事実に恐怖を覚えることがある。