友人に誘われた写真展。
木でできた古き良き建物の中で、繰り返し、流れる穏やかな歌声の中、写真はずらっと並んでいて、その真ん中にぽつんと、文章が書かれていた。
私がこの写真展で心の中に残ったものは、写真ではなく、文章だった。
発展途上国に8年くらい前に訪れ、世話になった家族と再会したときのお話。
数年ぶりの奇跡の再会に、当時撮った写真を渡す。嬉しそうではあるが、当時からさらに深刻な経済状況にその家族が陥っていることは、明確で。
写真ではなくお金を求めていることがひしひしと伝わったのだと。
私はこの文章を読んで、人間らしさなのかもしれないと感じた。
与えたいものともらいたいものがすれ違ってしまうことなんて、この世の人間関係では数えきれないほど、起きていることだろう。
そんな不器用な人間は、それでも与えることをやめない。いつか通じ合えると信じて、想いを交換し合う。人間の、そんなところがいじらしく、愛らしいんだと思う。
何度だってすれ違う。それでもやめない。
自分も似た経験をしたことを思い出した。
前職の社長さんの誕生日が近づいて、ひとまわりも年上の人に新卒なんかの私が何を贈れるのだろう、と頭を悩ませていた。
悩みに悩んで、まずは電話をかけて直接日頃の感謝を伝えること。そして手紙を渡すことにした。
私が何より大切にしていることは、手紙を書くことだったから。
一番、想いが伝わると思った。
誕生日当日、電話のお礼を言われ、さらに時が過ぎたあと、痺れを切らした社長さんは、まさかプレゼント用意してないなんてことないよね、というテンションで、様子を伺ってきた。
やってしまったな、と私は思った。
あれだけではダメだったのか。私は1番の贈り物を考えたつもりだったのに、相手を落胆させてしまったのだ。
なんでもいいからプレゼントが欲しかったのだと。
難しいなぁと反省しつつも困惑しつつも、私は一生思い出す気がする。この苦い思いは、こびりついて、すぐには取れない。
なんだか切ない生き物なんだよなぁと思いつつ、不器用でかわいいじゃん!なんて思える日も来るのかもしないね。