老いることを前向きに

mincho
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何年ぶりなのか覚えてないくらい久しぶりにおじいちゃんとおばあちゃんの家に行った。

私の一家はおじいちゃんをおーちゃん、おばあちゃんをあーちゃんと呼ぶ。

私の母もおばあちゃんも、若くにして子どもを産んだから、まだおばあちゃんおじいちゃんと呼ぶには可哀想という理由で、あだ名がついた。

久しぶりに会った今日、おーちゃんもあーちゃんもおじいちゃんおばあちゃんになっていた。

胸がキュッとなって、泣きそうになるのを堪えた。

家族のいざこざがあったので、ここ数年、年末年始に集まることもなくなっている。

会わなきゃと思いながら、どうしても働き方についてとか私たち家族の話とかもっとこうした方がいいよと一方的に言われるのが苦しくて、泣き出してしまうのではないかと、会うことを避けている。

なぜか私たち一家は歳をとることを恥じていて、おじいちゃんは繰り返し、「もう75歳。後期高齢者になったから。」と話す。

私の母もそう。妹なんていつだって自分が一番若いのに、「もう◯歳だよーやだー」と毎年騒ぐ。

祖父母は今年、結婚して50年が経ったらしい。

おじいちゃんはいつでもおばあちゃんのことを考えていて、まっすぐな愛情を注ぐ姿に、私は憧れている。

一緒にスーパーに行くと、「あーちゃんが食べるから」と言って、プリンを3つもカゴに入れていた。ちなみにおじいちゃんは甘いものはそんなに好きではない。おばあちゃんが好きだから、一緒に食べるのだ。

おじいちゃんは働きながら、空手を50年以上続けている。

誰かと50年間、一緒に暮らし続けるってどんな気持で過ごすんだろう。

誰かを50年、愛し続けるってどういうことだろう。

何かを50年続けるには、私はもうすでに何かを始めなきゃいけない年齢にになった。

もう後期高齢者だと放つおじいちゃんには、継続する力がある。

それも桁違いの。

今まで一生懸命、真面目に働き続け、誰かを守り、愛してきた自分を、どうか誇りに思ってほしい。

頑張ってきた自分を労って、胸張って、残りの人生を歩んでいてほしい。

面と向かって、言わなきゃなぁ

@mincho
渋谷にある共創施設の運営スタッフの傍ら、編集者・ライターのアシスタントを始めました。文章を書くことの楽しさ、言葉を大切にする人の尊さを実感する今日この頃です。