ひとりで暮らしたまちは薄汚い

mincho
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ひとり暮らしを始めて約3年。

絶対に早急に引っ越してやる!と決めて、新社会人ギリギリの3月30日に引っ越しをしたとりあえず住み始めたおうち。

駅には西口にも東口にも大きなパチンコ屋さんが立ちはだかり、チェーンの飲食店ばかり並んでいる。

実家のまわりには絶対になかったスナックや女の子や怖そうな男の人が店の前に立つ姿。

前に住んでいた人の使用感を感じてしまうお風呂や一口コンロ。

深夜になると野太い声で叫び出す隣の人の騒音。

隣人が寝静まったあとは、立ち続けにトラックが橋の上を通る。

排気ガスですぐ真っ黒になる換気扇。

越してきたばかりの頃は、いろんなものが好きになれず、眠れず、孤独で何日か泣いていた。

父親にぽろっと弱音をこぼすと、「いいね!それがひとり暮らしの辛さだよ。成長するよ。」と言われた。

他人事だと思って!とも思ったけど、父もそんな孤独な夜を乗り越えてきた1人なんだろうと実感する声かけだった。

3年も経つと、好きにはなれなくても、玄関を開けると「帰ってきた…」という気持ちになり、私にとって唯一安心する家に変わった。

悔しいけど、今はなき、実家と同じような気持ち。これが愛着。

今の私には安心できる場所はここだけ。

ずっと母親に頼りっぱなしで生活してきた私が、ひとり暮らしなんてできるわけないかもと思いながら、できるできないなんて言ってられない日々が続き、結果今ひとり暮らしを滞りなくできている。

全然、綺麗な丁寧な生活なんてほど遠いけど、誰にも迷惑をかけていない。はず。

そしてちょっと怖いのは、私が実家に住んでいた日々が、夢か幻かそんな現実があったようには思えなくなってきていること。

覚えているけど、思い出すことが減った。

今の生活が今でしかなくて、過去のことをすっぽりと忘れてしまうような気持ちになる。

人生のほとんどを母と妹と一緒に暮らしてきたはずの事実が、ほんとかな?と思ってしまうほど、だんだん薄れてきてしまった。

ずっとひとりで暮らしてきたような気がしてしまう。

人間は簡単に忘れてしまう。

あんなに大好きだったまちも、家も。

私は思い出に浸ることが苦手だった。

思い出すってことは、もう二度と戻れないということで、戻れない現実を受け止められなくて悲しくなるから、ならいっそ思い出さない方がいいと考えることをやめた。

思い出さないうちに、本当に思い出せなくなってしまって、あのときの大切な感情まで忘れてしまうことに気づいた。

だからどんなに悲しくても、忘れたくないものは何回も思い出して、思い出す場所に向かって、足を運んで、悲しみにどっぷり浸かってしまう必要がある。そう思った。

そしたらいつかいい思い出になることもある。大切に胸にしまっておける。

またいつか私は今住むまちを思い出して、胸締め付けられる日を迎えるんだろうか。

全然好きになれなかった懐かしいまちになるんだろうか。

@mincho
渋谷にある共創施設の運営スタッフの傍ら、編集者・ライターのアシスタントを始めました。文章を書くことの楽しさ、言葉を大切にする人の尊さを実感する今日この頃です。