「今ここにいなかったら、選択しなかった未来かもしれないもんね」
バイト先の人に言われたこと。
間違いなく、今このバイト先で働いていなかったら、私は人の想いを文書にすることの楽しさを知らずにいたし、文章を書きたいとも思わなかっただろう。
そもそも自分が文章を書けるかもしれないと思うことさえなかったと思う。
そう考えると、その人が言った言葉にゾッとする自分もいた。
自分の選択の上で、人生が成り立っていることに実感が湧いたし、もしかしたらこうなることは決まっていたのかも、とも思ってしまった。
芦田愛菜ちゃんが言っていたように、もうすでに人生の道筋は決まっていて、その場所に行くための選択肢を選んでいるにすぎないのかもしれない。
自分に最終決定権があると思うと荷が重いけど、何を選んでももうすでに決まっている結末に向けて、方法を選んでいるだけなのだとしたら、少し気持ちが軽くなるんだと。
私は自分の過去の経験に、何か意味を持たせようと考えてしまう。
あんなに辛かった経験は、この場所にきて、この人に出会うためだったんだとか、自分らしさに気づくために必要なステップだったんだとか。
本当は意味なんてなくてもいいはずなのに。
意味を持たせないと不公平じゃないかと思ってしまう。
他者が感じていることなんて、私には理解できるはずもないのに、人の幸せばかり羨んでしまうから。
見えている部分ばかりに目を向けて、大切なことが含まれている見えない部分を感じることができなかった。
今のバイト先で働く仲間に、教えてもらったことがある。
自分が大切にしているものを堂々と大切にする姿。
対話することの楽しさ。
わかり合えなくてもわかろうと向き合う姿。
今まで感じたことのない種類の愛情と情熱を感じられて、私は誰かにわかってもらえずとも、まずは自分の気持ちを自分が大切にすることができれば、自然とあとから誰かが共感してくれるものなんだと気づくことができた。
やっぱりこのバイト先にきた意味があったんだろうなぁと、結局意味を持たせている。
毎週の小さな楽しみ。
これもバイト先の先輩が教えてくれたニュースレター。
ライターである先輩は、このニュースレターを読む時間を「喫茶店でゆっくりとコーヒーを飲む時間」と表現していた。
周りの時間が少しゆっくりに感じられて、ちょっとだけ立ち止まることができる休憩の時間でもあるし、自分の感覚を取り戻す振り返りの時間にもなる。
誰にも伝わらない自分だけの想いもすごく大切にしたいし、伝えることも諦めたくないなと思う。