生きることは緩やかに死ぬことだと思う。
生き物である以上どんなに長くてもあと70年くらいで確実に死ぬ。これを「生きる」と考えるか「緩やかに死へ向かう」と考えるかはまぁそれぞれだ。というか後者がネガティブすぎる自覚はある。
極端に、かつ乱暴に言えば、どうせ死ぬのだから全てのことに意味は無い。
自暴自棄になっているのではなくて、「意味は無くても死ぬまでの期間を楽しく生きていい」という、全てに対する後ろ向きな肯定と捉えてほしい。
どうせ腹に溜まって排出するだけでも食事を楽しんでいいし、老化するとしても今を楽しくするために整形していい。
食に興味の無い人が「胃に入ったら同じじゃん」、美容に興味の無い人が「どうせ年取ったら崩れるんだから」と言っているのを見ると、「そんなことない!」じゃなくて「そうだけど、別にいいじゃん。楽しいし」と思っている。
無くてもいい、生きる意味など。
「生きる意味」なるものがモチベーションになる人ももちろんいるだろうが、私にとっては「意味ある人生を生きる」というのは呪いだ。
だから、意味の無いことが好きだ。そんなの何の役に立つの?何の意味があるの?と言われるようなことこそ、人生を豊かにしてくれる。
何にも追われず、意味など考えず、心の赴くままに好きなことをする。
いずれ死ぬのだから、死ぬまでの猶予期間を少しでも楽しくしたいね。