エリザベス宮地監督作品のドキュメンタリー映画「WILL」を観た。狩猟を行う俳優の東出昌大の心の葛藤を描いた作品である。(以下、ネタバレあります)
作中では狩猟に対して罪悪感を抱きながらも食べるためには必要な行為でもある側面に葛藤する東出が、自身の境遇とも重なりながらも、もがき、悩み、生きるそんな姿が描かれる。
この作中、MOROHAの楽曲が全編にわたり使われている。MOROHAの楽曲は相手に対して背を向けずにファイトポーズを取るような楽曲が多い。ただ、そんな曲をバックに、東出は都会や現実、家族、さまざまなものから逃げ続ける。そこが作中はずっとズレている印象だった。
そんな違和感を抱えつつも物語は後半へと向かう。そして、物語の最後、この作品を撮るにあたった理由が明かされる。
そして、エンディングととして流れるMOROHA。たった数分間の楽曲の中で鬼気迫るように演奏する彼らは、いつもと変わらず銃口を聴き手に向けるように歌っている。だからこそ、MOROHAを聴くと背筋を伸ばさなくてはいけない気持ちになる。ただ、この映画の最後にかかるMOROHAを見ると、実は常にファイティングポーズをとって戦い続けているように見える彼らも日々、悩みながら過ごしているのではないかと突然思わされる。
その瞬間、これまで逃げてばかりいた印象の東出と戦ってばかりいる印象のMOROHAが突如重なってくる。
映画WILLの上映時間140分で語られる東出昌大の物語と、4分のMOROHAの楽曲。これまで「其ノ灯、暮ラシ」やMV「バラ色の日々」など、MOROHAと向き合ってきたエリザベス宮地だからこそ、それぞれの魅力を最大限にまで引き出した、描けた素晴らしいドキュメンタリーだと思った。
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テアトル新宿で映画を見終えて、階段を上る。駅のあるネオン街へ向かうと、人の声が徐々に大きくなる。映画館では一人ひとりの声がはっきり聞こえていた状況が、気がつくと雑踏になっていた。
映画を見ながら画面と対峙して、作中の出来事を考えていたつもりだった自分が、街中に溶けたその瞬間、群衆の中のひとりに溶けてしまっていた。その中で溶け込みたくないという思いと、目立つためにここでいきなり奇声を挙げて叫び回ることの出来ない自制心のスキマで、ずっともやもやしている。
終電間際の電車は今日が月曜日だからか、いつもよりお酒のにおいや景気の良さは少なく、疲れたにおいが漂っている。そんなにおいの中、大学生たちは陽気に恋バナに花を咲かせている。
逃げることと戦うこと。この矛盾について考えること。これをそもそも矛盾であるかどうかを考えることからはじめなくてはいけないのかも知れない。そう思った。
いい映画の条件の一つに観終わったあとに風景が変わることがあると思っている。この映画は間違いなくそれに値する。そして、エリザベス宮地にはまた瞬間を丁寧に撃ち抜くような作品を作って欲しいと思った。