2025年は私にとって大きなターニングポイントだったな、と改めて思います。
そのうちの一つが心療内科に行って、「自分、ADHDじゃないかと疑ってるんですけど…」と相談に行ったことです。
結果的に、グレー……としか結果出ないだろうから検査も必要なし、ということでした。
でも私にとっては結果がどうこう以前に、病院に行って相談したことにものすごく価値があると思ってます。
だってそれは、
自分の性質を自覚して、
困ってることを受け入れて、
そのうえでどうにかしよう、
もう自分じゃお手上げ!
助けて専門家!
ってなったから行ったわけです。
まず自覚しないとなんだかよくわからないまま、ただ生きづらい。
今の状態を受け入れたから落ち着いてどうにかしようって未来志向になる。
自分ではどうしようもできないと、自分の弱さを受け入れるから人に頼れる。
プライドが邪魔して、
「こんなこと言って引かれたらどうしよう〜恥ずかしい〜」
って思ってたら行けないんですよね。
もはや恥ずかしいを飛び越えて、困ってるからどうにかしたい!が勝った瞬間です。
で、もっと前段階で言うと、自分が困ってる症状がADHDぽい と思ったことで、ADHDというキーワードを使って調べることができました。
そこでふとSNSで呟いたことで、「まず心療内科に相談してみたら」とある方から助言をされて、行こうと思ったという経緯があります。
つまりADHDというキーワードを知らなければ、心療内科に行って相談する・必要なら検査するまで行き着かなったと言えます。
実際私はそうでした。
自分の性質は昔からそうで、どうにか変えようと努力したことあります。
でも変えられない。
けれど困る。
その困る程度が大人になればなるほど強くなってきた気がします。
その頃にはADHDという言葉を耳にすることありましたが、どうしても、こどもが学級崩壊起こすイメージが強烈に印象あって、自分とは結びつかなかったんですよね。
それであるときふと、ネットの「あなたは大人のADHDかも診断」みたいのを受けたらかなりの高得点!
細かく症状見ていたら当てはまる当てはまる…。
ここでようやく私の中に、ADHDというキーワードが入りました。
心療内科の先生からは、
ADHDかどうかと言えば、おそらく、限りなくグレー寄りのグレーです。
単に個性としてその症状が強く出てる、ということは誰にでもよくある。
それでも困ってるというのは事実としてあるわけだから、おすすめはADHDに関する本をパラパラ見て、自分に役立ちそうだなって対処法を実践する。
実践して合わなかったらまた違う方法を試していく。
もうそうやって付き合っていくしかない。
と言われました。
実は心療内科訪れるほんの数日前から試しにポモドーロテクニックを試し始めてたんですよね。
私は1点集中型なんだけど、過集中すると疲れて、そのあとまた再開するのに時間がものすごくかかる。
その一方で好奇心旺盛だから何かに気を取られるとまったく集中できない。
だから、集中すべきときは集中して、なおかつ普段はできるだけ過集中は避けて、グロッキーになりすぎないようにしたいなあと思ったのです。
これも、
自分はADHDかもしれない→ADHDで調べる→ポモドーロというのがいいらしい
と、キーワードの連鎖で解決した例です。
「私は〇〇かもしれない」「私は〇〇だからもう仕方ないんだよね」「私って〇〇だからさー!」
みたいなレッテル張りは、自分で自分の可能性を狭めてしまうことが多いのであまり好きではなかったのですが、
レッテル貼りすることで救われるってこともあるんだなあと、思いました。
何事もケースバイケースですね。
建設的に使っていきたいものです。