『ベルサイユのばら』は十代のころに読んだ。友だちの家にあって、なんとなく手に取った一巻がとても面白くて、そのあとすぐ本屋へ全巻買いに行った。ベルばらを読んだ人が一番泣くのは、オスカルとアンドレの最後の場面だと思う。オスカルが本当の自分の気持ちに気づき、アンドレと運命を共にして、そして散っていくところ。でも私が一番泣いたのは、ルイ16世が死ぬ場面だった。ルイ16世はマリーの夫で、冴えない男として描かれる。ちょっとしか出てこないし、最初から最後まで三頭身。オスカルやマリーみたいにコマぶち抜きの八頭身で現れることも、花を背負って登場することもない。錠前作りと狩猟が趣味で、妻であるマリーの美しさに照れてまともに向き合わない。完全なる添え物。マリーはフェルゼンとの熱烈な恋が描かれるから、この漫画にはちょうどいい存在感のなさ。そんなルイ16世が死ぬのは、もちろんフランス革命。断頭台の露と消えるとき、最後の最後にマリーに向けて「こんな私でもあなたを愛していたんだよ」みたいなことをひっそりと独白する。ほんの1ページくらいのものだったと思う。そこで私は死ぬほど泣いた。嗚咽が止まらなくて、落ち着くまでに何十分かかったかわからないくらい泣いた。言いたくても言えない自己肯定感のなさと、結局何にも本人には伝えないまま死んでいく姿に痛いほど共感してしまったのだ(と思う)。漫画であんなに泣いたことは後にも先にもないと思うくらい泣いた。泣きすぎて疲れてしまって、オスカルの最後ではあまり泣けなかった。それがなんか悔しくて、今でもちょっと根に持っている。あんなにオスカルやマリーに憧れながら読んでたはずなのに。あんなにわかりやすくカタルシスへ向ってたのに。オスカルとアンドレの最後に、あれ?こんなもん??って、物足りなく感じてしまったことが、いまでもまだちょっと悔しい。まあ、思春期特有の自己肯定感のなさと、ベルばらのキラキラした登場人物たちは対局にあるから。池田先生はそこまで考えてルイ16世を描いてないだろうけど。ベルばら、記憶を消してもう一回読みたいな。次こそは正しいカタルシスを迎えたい。