逝くまで

mirushika
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歳をとり死が身近なものになるにつれて、少しずつやっとわかってきた。人間は一人で生まれて一人で死んでいく。いくら愛しい人でも止めることはできないし、一緒に逝くこともできない。こういうことを考えていると、世界には神さまなんていないと嘆きたくなる。

地球上には種々の死生観や世界の捉え方があり、それぞれにそれぞれを信じる人がいる。そしてそれらいまだ解明されていない(と私は思っている)ことがらを説いたものを宗教と呼んだりもする。内容はさまざま。死生観のほかにも、現世を生きる人間の倫理観を説く場合もある。いくつか思いついたものをぼんやりと頭のなかで比較しても内容はぜんぜん違うし、本当にぴったり正しいことを言っているものはないんじゃないかな。

意識の有無は関係なく、受動的でも能動的でも、信じるものを選び取った結果が信心なんだと思う(それか私が"真実"を知らないから)。まあそう考えるとやっぱり、死生観にも倫理観にも決定版はなさそう。

こういうことを思うとき『バカヴァット・ギーター』を思いだす。『バカヴァット・ギーター』はインドの大叙事詩『マハーバーラタ』の中にある詩編で、紀元前10世紀頃に起こった戦争を描いたものだ。主人公のアルジュナはクシャトリア(武人階級)に生まれたのに、親族や友だちと戦うことをためらって進軍できずにいた。戦争のむなしさを嘆くアルジュナに、彼の友人でありヴィシュヌ神の化身でもあるクリシュナが教えを説く。クシャトリアに生まれたからには戦うことが義務であり役割である、と。

私はヒンドゥー教徒じゃない。だから都合のいい部分を勝手に繋げてるだけなんだけど、先の話に境涯を全うして結果に執着しない点に教えがあるとして、逝ってしまう人を止められないこの世の理を重ねてみるとき。自分が地球をつくる細胞のひとつになったみたいで、逝くまで粛々と生きるしかないのだと軽はずみに実感してしまう。