村を捨てる

mirushika
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父の実家がある町には、電車が通っていない。最寄駅のある街から続く一本の国道を、北へ北へ。「本当に、これ以上進んで大丈夫?」初めて来た人は必ずといっていいほど不安になる(本当に聞かれる)。それくらい車で走って、やっとたどり着く。山ばかりの町で観光施設は少ないけれど、ダムがひとつある。

私が幼い頃、この町はひどい水不足になった。雨は降らず、日照りは続き、とうとうダムが干上がった。家からダムまではそんなに遠くない。実家に遊びに行っていたタイミングで、父が「ダムを見に行こう」と言った。車で数分。私たちと同じように見物にきた人がちらほら。ダムを覗くと、見事に干上がっている。いつもなら底なんて見えない。夏の森みたいな濃く濁った水の色。いつもあの底知れない水の色が怖かった。なのに今では水たまりひとつない。底までは下りられないので、上から眺める。かなり広い。目が慣れてくると、ただの地面だったところに、道の跡や家の区画があるのがわかるようになってくる。父が指さした方を見ると、門みたいなものがある。小学校の校門らしい。その奥に、二宮金次郎の銅像が立っていた。子どもながらに、あの銅像が小学校にあるものだということは何となく知っていた。小学校は私にも近しい場所だったからか、その銅像を見たあと、村の解像度が急激に上がっていくのがわかった。見たことのない知らないはずの村が見えるという体験は、当時の私にはけっこう衝撃的なできごとだったらしい。今でもときどき、思いだしては考える。ダムに沈んだ村や銅像、ダム建設のために引っ越しを余儀なくされた人や町に残った人や、あの日ダムを見に行こうと言った父のことを。

あの日からかなりの年月が経った。ダムが干上がったことはあれ以来なかったと思う。いつ帰ってもダムは濁った水を湛えていて、底は見えない。