高校での現代文で習った言葉でなぜかよく覚えている言葉。
諸行無常。
永遠なるものはない。
仲の良い友人との連絡の取り合い。自分の親の元気の良さ。学生の頃持っていた、自分や他の人の健康な身体と精神。少し前まで持っていた何でもしようと思えばできるだろうし、なろうと思えばなれそうという謎の自信。自分もおそらく多数派のように安定した仕事に就いて、結婚して子どもを産んで、また仕事に戻って、家も建てるだろうというぼんやりとした予想。好きなアーティストのライブやコンサートに行きたいという願望。のような事々。
何事も移り変わるものなんだなあと思う。例えば上に挙げた事柄の現状を考えると。
定期的に会う友人はもう一人もいないし、しばらく連絡の取っていなかった友人のLINEはあるとき全て消してしまったので、もう繋がることもできない。
あんなに力のあった父はもう亡くなって、母はまだ健在だけれど、昔の面影とはまた違った感じである。
自分は学生の頃はほぼ皆勤だったのに、今は精神を病んでいて、まともに働き続けれない。身体にも少し不調が出始めている。
何でもできるし、何にでもなれるという自信は実をいうと昔ほどは強くないが、まだ少し残っている。何でもというと語弊があって、これは自分には無理というのは段々分かってきたけれど、おそらく無謀なとある夢はまだ持っている。でも、絶対にやり遂げられるだろうという謎の強い自信はないが。
フルタイムで働くのは正直今は難しい。皆働いてるのにと、思う。学生の頃授業サボってた人も社会人になってちゃんと働いてるのに。学生の頃、ばかみたいに真面目に授業に出てた自分はフルタイムで働くことができない。なぜ、と思う。
結婚はどうだろう。分からない。子どもも分からない。同世代は本当に出産ラッシュという感じで毎年周りで誰かしらが子どもを産んでいるような気がする。その中に自分はいない。そのうち自分もその中の一人になるのか分からない。分からないとか悠長なことを言ってるのももしかしたら呑気すぎるかもしれない。女として。
家を建てるのは無理かな。まあ色々な事情があり。それに何となく死ぬまでどこかに定住する自分が想像できない。飽き性だし、何かに囚われたり、縛られるのが嫌だ。かといって変化が好きかというとそうでもなくて、本をたくさん持っているから引っ越しも大変だし、引っ越しの作業自体は正直なるべくやりたくない。でも死ぬまでどこかに住み続けるのかと思うと、なんか違和感がある。だからもし家を建てられる余力があっても、建てないような気がする。
高校までは地元から出たいと思っていた。公務員なんて絶対嫌だと。でももう辞めたけど公務員に就いていたこともあるし、旅行でさえ地元から出ることがほとんどない。そんな自分想像してなかった。今は逆に、地元から外に一人で出る自分が想像できない。それはとあるトラウマというか、恐怖感が自分にあるのも関係しているだろうけど。
好きなアーティストのライブやコンサート。私、チャットモンチーとSMAPが好きだったんです。どちらも解散しちゃいました。どちらも一度もライブに行ったことがありません。もう一生無理なのかな。ライブのDVD見るぐらいしかできないかなあ。
何となく今目の前にあるもの、目の前にいる人がずっとこれからもあり続け、い続けるような感覚を持ってるけど、そんなことないんですよね。いつか無くなる。いつかいなくなる。目の前のもの・人だけじゃない。自分の中のものも。
悲しいと言えば悲しいかな。やっぱり親しみがあるものにもう触れられないのは。慣れていたものが無くなるのは。でも無くなったら無くなったで、しばらくすると無いことに慣れている自分がいたりする。たまに思い出して、もう無いのかあと少し心が痛むけど、でも忘れかけている自分もいる。
悲しいけど、そういうもの、なんだろうな。何事も。どんな人も。それが離れていったり、無くなっていったりするのを止めることは、多くの場合、自分にはできない。
そう言えば、離れていくというワードで最近というか少し前も考えていたことがあって。イギリスの小説家にカズオ・イシグロという人がいるんです。その人の小説に『わたしを離さないで』というものがあります。今書いて気づいたけど、日本語でもそうか、「離さないで」だったんだ。というのはその小説の原題が“Never Let Me Go”なんですが、それが妙に気にかかってたんです。相手に離れていかないで、じゃなくて、私を行かせないで、離れていかせないで。手を離さないで。という雰囲気。日本語も、そういうタイトルでしたね。今、気づきましたが。この小説そのものを読んだのがだいぶ前なので、そこまで細かく内容を覚えていませんが、なぜ相手が離れていくわけではなくて、自分が離れていくのを止めてほしいというタイトルなのかなって。なんか普段というかよくある話は、離れていかないで、な気がして。自分は。そうではなくて。私が離れていく。私が自分で離れないことを選べば良さそうな気がするのに、それはできないんでしょうね。おそらく。離れざるを得ない。でも離れさせないで。手を離さないでという懇願。なんか私はこれについて考えてるととても悲しい気持ちになる。なぜならやはり、手を離した先にあるのは死、という予感がするから。しかも自分から死に向かっていくような感じ。なんだか心が痛んで仕方ない。
少し諸行無常の話とずれたような気もしますが。でも関係あるのかな。物も人も、死は避けられない。死は悲しい。悲しいけど避けられない。避けられない。避けられないけど、今どうするかっていう話ですね。まだ死んでない今から、その未来の死を想像して嘆き悲しんで過ごすのか、恐怖感に耐えられずにむしろ自分から死に向かっていくのか、避けられないけど今は生きてるから、生きてる今を満喫するのか、人それぞれだけど。今、しかないんですよね。自分には。