フィクションストーリーの中に非業の死を遂げる登場人物がいて、その人の最期の場面を観たり読んだりする度にぐいぐいと痛む胸、この痛みは一体誰のための悲しみなのだろうか。
架空の人物ならば、その死も架空。
物語が語り継がれるたび、その一回一回、彼は、彼女は、繰り返し死ぬ。同じ顔で、同じ仕草で、同じ言葉を遺しながら繰り返し繰り返し死んでしまう。けれどページを1枚めくって戻せば、あるいはソフトを早戻しすれば皆、そこにまだ生きている。1冊、1巻とどんどん物語を遡っていけば、もっとずっとマシな日々を過ごしている姿ばかりずっと好きなだけ眺めていることもできる。
けれど、彼らの死を止めることも、死を無かったことにもできはしない。
現実の人間達の死と同じく、物語の中にも生きて死んでいく人生の流れがあると受け入れるしかない。受け入れて、彼ら彼女らの姿を何度でも心に呼び起こして、自分の心が生きている限りは共に在ることをかろうじて喜びたい。
(書き出し/2023-11-24 FRI)