9/2
休日。
眉毛サロンに行って、美容室に行って、IPSAの化粧水を買って、銀座で紅茶を飲もうかと思っていたのだが、『Slay the Spire』をやっていたらあっという間に朝の8時になってしまっていて、結局いつも通りの休日を過ごした。いつも通りの休日とは、『Slay the Spire』をやったり、映画を観たり、漫画を読んだりするこの日記にも幾度となく登場した休日のことである。
私の場合、前日に立てた計画がきちんと実行されることはほとんどないと言っていい。"前日に立てた計画"は"1週間前に立てた計画"へと押し出され、そこでようやく万全の状態(1週間も経っているのだから当たり前だ)で実行される。こんなに『Slay the Spire』をやっているのに人生のスケーリングが下手すぎる。
『きみの色』を観た。
・先生がシスターで、校内に聖堂があって、ってサーヤの母校じゃん!この前ララチューンで見たぞ!と思ったらエンドロールに純心の名を見つけてテンション上がった。トラピストのガレットがあの学校のどこかにもあるのだろうか。
・背負ってるカバンの高さと小ささ、持て余したパーカーの丈。ダイスケリチャードすぎる。
・音楽がいい。"きのうのごはんはあったかソーメン"というフレーズが相対性理論っぽくて好き。"こいつは絶対三体問題"も割とそうかも。コラージュのように質感の違うワードが挟まるちぐはぐさ。
全編を通して箇条書きなのはあまり響いていないことの証左。水金地火木土天アーメン。
9/3
仕事。
『ビビデバ』が鳴り止まない!
先日も散々好きなところを書いたが、ここ最近、イヤホンを付けている時間のおよそ100%は『ビビデバ』を聴いている。そして、イヤホンを付けていない時間はその残響を聴いている。成人男性の平均をやや下回る体積の私にはおよそ収まりきらない『ビビデバ』の摂取量である。というわけで、浸透しようにもみちみちで行き場を失った『ビビデバ』たちに先導されるかたちで、仕事終わりにカラオケに行った。
『ビビデバ』を歌った。

とにかく『ビビデバ』を歌った。それだけをTIFのBiSHくらい歌った。足元にはおびただしい数のビイビイ弾。これはさすがに撃ち足りた。行き場を失った『ビビデバ』を解放するはずが、自分が歌う『ビビデバ』が解放と同時に取り込まれ、『ビビデバ』の飽和状態が私の身体の中から部屋の広さまで拡大していく。
会計のために扉を開けるとぎゅうぎゅうに詰まった『ビビデバ』が我先にと通勤ラッシュのように雪崩れ込む。足の踏み場がない。ドリンクバーに近い人通りの多い部屋だった私は申し訳なく思った。あれでは清掃に時間がかかる。
カラオケを出た私は再び『ビビデバ』を聴きながら帰った。もはや収まることを諦めた『ビビデバ』は私の身体を力なく滑り落ちていく。きっと今、カラオケと私の自宅とはその滑り落ちた『ビビデバ』によって結ばれていることだろう。たとえ自宅までの道を忘れても『ビビデバ』を辿って帰って来れる。なんだかこんな話がグリム童話にもあった気がする。
こんな話はない。
9/4
仕事。
暑気払いということで職場の人たちとしゃぶしゃぶを食べた。
どうでもいいが「暑気払い」という言葉、音で聞いても漢字が想像出来なさすぎる。最初に聞いた時、高木払いの親族かと思った。それは俺だけか。
普通にシフトに入っていたので、私は休憩時間中に参加する形で、そのため着く頃にはすでにたくさんのお肉が並んでいた。鍋は、よくある、太陰太極図のような形の仕切りによって2つの出汁が同居している鍋だ。着くなり私はその2つの出汁について尋ねた。
「えーっとね、こっちが豆乳で、こっちが極みだよ」
極み…!?
パワーバランスがおかしいだろ。言葉の力として"豆乳"と"極み"では明らかに釣り合いがとれてなさすぎる。この2択で豆乳を選ぶやつがいるのかよ。いや、いない(反語)。どうせそんなやつは"ここで豆乳を選べる私"という自意識で自分の欲望に素直になれない哀れなやつだ。
私は「極めてんなら極めてるやつの方が当然いいですよね」などと言って、極みで食べまくっていたのだが、ここで頼んでいたつみれが届く。思わぬ伏兵。正直豆乳でつみれはアリ。
しかし、用意してくれた上司が「どっちに入れる?」と聞いてきた時、私は絶対に極みと答えた方がウケると思って「極みで」と即答した。そうです。自分の欲望に素直になれない哀れなやつとは私です。
それにしても仕事しか共通言語のない人たちとの食事はかなり難しい。しかし、だからと言って「食事の場でまで仕事の話をするのか」という意識もあり、そうなると特に話すこともなくなっておわり。私はもやしのナムルをあり得ないペースで頼む人になることで話題の中心となってこの場を凌いだ。何それ。
9/5
休日。
Iさんと出かけた。
『SPEC』のロケ地にもなった中華屋で昼食。店内には壁一面にサインが飾られており、どうやら『SPEC』以外にも様々な作品のロケ地になっているらしい。味が美味しいのはもちろんだが、いわゆる"町中華"で画を撮りたいとなった時に想像する町中華そのものといったロケーションで、ここがロケ地に選ばれるのも納得だった。壁に貼られたプラスチックのメニューも、人がまるまる入れるくらいに大きな古いエアコンも、決して再現のできない、歴史によって裏打ちされたリアリティがあって良い。
その後、プリキュアとコラボしたアイスを食べるため河川敷をひたすら歩いて新丸子へ。それはもうひたすら歩いた。散歩はいい。特に、散歩のよさを分かってる人との散歩はいい。
今日は、行きたいところをそれぞれ提出してスケジュールが組まれたが、目的といえばお互い「貸してもらった本を返す/新たに貸したい本を貸す」くらいのもので、ほとんどは歩きながら話しただけだ。話したいことがたくさんあったわけでもないのに話すことは尽きず、歩いた距離にしては心地のいい疲労感で、家に着いてようやく、その身体の重さでいい休日だったことを実感した。
「本屋で無限の時間を過ごせるかどうか」
これは友達の条件としてかなりあるかもしれない。思い返せば中学の頃からこれをやっている。
9/6
仕事。
堀未央奈がキツい。
今週の『あちこちオードリー』に堀未央奈が出ていたのだが、かなり鮮明に"嫌"だった。たしかに乃木坂にいた頃から変な人ではあったと思うが、そこまで嫌な印象もなかった気がするのに。もしかするとバナナマンがすごかったのかもしれない。
"キツい"のままで終わってしまっては日記の意味がないので、何がキツかったか分解しようと思う(訳=言葉を尽くして悪口を言います!)
・ただ強い言葉を使うことがエンタメになると思っていて、プロレスにしてくれる人の技術に目を向けられていない感じ。
・大塚家具の一件を知らないという自分の無知を=つまらないと断じる世界の狭さ。
・コミュニケーションにおいて発生するカロリーを自分からは決して支払わないくせに、相手から動いてもらう際に発生するカロリーに想像が及んでいない感じ。そのスタンス。
総じて想像力のなさがキツかったように思う。そのスタンスでいるくせに、自分の顔のつくりに親しみにくさの原因をまるごと押し付けているのも、とことん傲慢で、もはやかわいい。相槌も、終始自分が得をするための相槌でとっても邪魔だった。絡みにくいのをキャラクターとして消費してもらっているのに、そうした歩み寄りによって出来た面白さを、"ありのまま"という武器だと勘違いしたまま提出し、その上いつまで経っても被害者ヅラ。
言いすぎてるかも。でも私スゴく強く言うので。ウソつけないので。

想像することを放棄する宣言をする堀未央奈。
9/7
仕事。
『大改造!オモコロラジオGOGO会議』を観た。
どのコーナーも面白かったのだが、特に『彩雲の怒髪天バタフライナイフラジオ』がよかった。「どこ見渡してもミンティア模写してるみたいな間抜けヅラばっかり」「新紙幣より先にざくろの匂いがするPASMO作ってくれよ!!」「あんたら輪投げが上手なのっぺらぼうより面白いんですか?」といった不条理な日本語たちが、感情的なのにどこか気の抜けた裏声によって捲し立てられる。罵倒の語彙が尽きて「ブルーベリー、ブルーベリー」でフェードアウトしていくのも意味が分からなくていい。
私は不条理な日本語のユーモアがかなり好きだ。好きではあるのだが、何に笑っているのかと聞かれると自分でも正直分からない。漠然と"意味が分からない"という状態に笑っているようにも思うが、だからと言ってただ意味が分からないだけでは面白くなく、再現が難しい。
孤高を極めるハンガーラック。ジャンプSQ.のかつらむき。鮭にまたがる老夫婦。ゆめぴりかのエグゼクティブプロデューサー。
難しい。意図してつくられた不条理は"意図して"という部分が透けて見えると、不条理とは最も遠いものになってしまう。そういう意味ではゆめぴりかはそれだけで少し面白すぎる気もする。
9/8
仕事。
10/7から『HUNTER×HUNTER』の連載が再開するということで、楽しみすぎるという話を上司とした。『HUNTER×HUNTER』が楽しみすぎるという話をする相手がいるなんて、私はかなり恵まれている。
私は、各所に「この世で一番面白い漫画はどうやら『HUNTER×HUNTER』ということでもう既に確定したらしい」と触れ回っているほど『HUNTER×HUNTER』が好きだ。私のプレゼンで3人ほどに全巻買わせた実績もある。上司も既に最新話まで読んでいるはずなのだが覚えていないところも多く、何度も何度も何度も(…)読み返してる私はネフェルピトーに脳を弄られている時のポックルのようにすべての質問に答えていた。
過去最大級の風呂敷を広げている暗黒大陸(に向かう船の中)編はもはやどう転んでもおかしくなく、その上どう転んでも面白くなることが確定しているからすごい。ツェリードニヒから動き出して、クラピカ、旅団、そして(どうせ黙っていられるはずもない)ヒソカが雪崩れ込んでくるような気がしているが、どうなることやら。全く想像がつかない。誰もがジョーカーであり、誰もがゲームチェンジャーになり得るだろう。センリツの存在、各王子のパワーバランス、エイ=イ組の可能性という余白も物語の終着を予想できないものにさせている。
ツェリードニヒはクラピカの因縁でもありつつ、欲しいものが簡単に手に入ってきた人生という意味では旅団の対極にもいて、彼の同級生の登場がこの先どう結ばれていくかも楽しみだ。
あ〜楽しみ。ちょっと待って、楽しみすぎるかも。ヤバいヤバい!書いていて待ちきれなくなってきた!え、読み返しちゃおうかな。マジで。しかし、ヌシを釣り上げて試験官ごっこが始まったらあっという間に一月が経つことを何度も何度も何度も読み返した私は知っている。