私の記憶は虫喰いのように穴がいっぱいあいている。大抵の思い出は本棚をぶちまけちゃった時みたいに、バラバラの状態で脳みそに残っている。
もうどこで出会ったのか覚えていない人がいる。
彼女は広島に一人で住んでいて、寂しい気持ちを持っている人だった。あの頃、インターネットの中には寂しい人ばかりがいた。誰かと繋がりたいと思っている人ばかりだったから、メールを交換しているうちに仲良くなるのはあっという間だったはずだ。
「はずだ」というのは私が覚えていないからだ。 そしてなぜ知っているかというと、何年か前メールのアーカイブの整理をしていてその頃のメールを見つけたからだ。
私の知らない自分は無邪気に彼女を慕い、学業を続けられるか不安な気持ちを訴え、覚えのない旅行の話をし、今とあまり変わらない愚痴や悩みを話し、そして今と変わらず見栄っ張りだった。
年上の彼女は忙しい学業の合間、よく長いメールを返してくれていた。 私のくだらない話によく付き合ってくれていた。報われない恋愛をしていて、しんと静かな凪を持っている女性だった。
私は一人で広島に行った思い出がある。彼女に会いに行ったのだ。
新幹線に乗ったこと。やきそばの入ったお好み焼きを狭いお店のカウンターで食べたこと。彼女のアパートの床、台所と居間の境目の敷居。宮島の景色は思い出せないけれど、もみじ饅頭が広島の名産なんだよと教えてもらったこと。平和記念公園はとても広かったこと。 柑橘系の果物が好きなんだと言ってた通り、家にいくつもの柑橘類の箱が置いてあったこと。甘夏。いよかん。なつみかん。
でも彼女の顔は覚えていない。 彼女の名前も思い出せない。
会いに行ってどれくらい経ってからか、彼女の交際していた既婚の男性から彼女が亡くなったとメールが届いた。それが真実なのかもう縁を切りたかったのかはわからない。
ただ今でもスーパーで甘夏やいよかんのコーナーを通るたび、残り香のように彼女の存在を思い出す。
2020年5月27日 18:50