佳句には具体性と普遍性が必要そう
実感と共感を持って追体験できるから
具体的なだけだと共感できない、普遍的なだけだと実感できない
追体験には普段・日常とは違う世界に瞬時に行けるおもしろさがある
具体性と普遍性は対義語ではない
対義語ではないから両立できる
具体 ←→ 抽象、普遍 ←→ 個別?
四象限で説明できそう
抽象的と普遍的は違いそうだが、具体的と個別的の違いは分かりづらい
具体的は例えばモノを出すこと
個別的は自分のときはこうだったみたいな
具体性と普遍性のバランスでさまざまな言説が説明できそう
よくされる指摘
観念的、標語: 具体性がなく普遍性だけ
報告: 具体的だが普遍性がなく個別的
感想: 抽象的で普遍性がなく個別的
感情語は良くない: 上記の感想になりやすいから
季語は具体性と普遍性の両方を持っている?
季語によってバランスは違うが、実感を持って体験できるものであり、季節が巡るたびに出会うという普遍性がある
季語を立てる意味は、季語が句の中心となることで両立できるから
だから無季はむずかしい
無季でも両立できれば評価される傾向にあると思う
無季句でテーマにされやすい戦争や災害はまさに具体性と普遍性を持っているのではないか
具体性と普遍性があれば句として成立するという理論でいけば、必ずしも季語を立てる必要はない
加藤楸邨が「季語は名脇役になれる」と言ったそう(https://www.youtube.com/watch?v=M5SbxThpdBs)
比喩は具体性と普遍性を両立させやすい気がする
例えるモノ自体は具体的だが、例えることでモノの細部が消えて普遍性が増す気がする
季語の具体性・普遍性のバランスの例
映像がなく具体性の少ない季語に対して具体的なモノを出す
行春を近江の人とをしみける 芭蕉
去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
具体的なモノの季語に対しては普遍的なことを言っても成立しやすい
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男