28の短編からなる28人それぞれの物語が収められている。
私が我慢すればこの問題は過ぎ去るはずだと思うこともあるけれど、そうすると第二、第三の被害者が生まれてしまう。
ありふれているから語る意味がないと思っていても、それはあなたの物語であると共にあなたの物語は社会の物語だから社会の一員として知らせるべき物語がある。社会の一員として知るべき物語がある。
そして私はこの本を読み終わって不条理な現実があることを知って打ちひしがれた。打ちひしがれたということは私はある程度恵まれていてあらゆる特権を保持しながら生きていたということだと思う。その事実を知って余計に心が苦しい。
子どもを産むかどうかという話になった時に、出産の痛みや妊婦として生活することを自分ごととして想像したことがなかった。想像力が足りなかったというよりはむしろ想像すらしていなかった。
生理痛を抱えながら生活するとはどういうものなのか、出血の心配をしながら生活するとはどういうものなのか、想像力が足りない。
「男性にしては考えてくれている」レベルで満足していただけなのではないかと思う。私はどこまでも自分自身がいい人だという認識だけ高まっているのだと思う。
当事者になれない出来事に関して、「今までは知らなかった」というセリフがどこまでも免罪符になると思い込んでいるのかもしれない。だからこそ様々な物語を読んで、聴いて、見て、知ることで言い逃れできない状況を作ることでしか私は行動を起こせないのだと思う。
「私が差別をしない」ことは最低限だとして私が所属している属性によって行われている理不尽な出来事を変えていける人になるための行動を起こしていけるか。
私は自分がいかに「進歩的でいい人なのか」という自負を打ち破ってくれる物語に出会えてとても嬉しい。