希死念慮

lemon
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未来の私へ

題名通りの苦しいお話です。気持ちが乗らない時は読まないでください。

最初はそんなこと考えていなかった。

一度考えてしまうとそこから抜け出すのは難しいのだろう。

苦しさや辛さやしんどさに対する適切な対処法って何だろうね。嫌なことをされた時、相手に対して死ねと思う人もいれば、こんな辛い思いをするなら私が人生からいなくなりたいと思う人もいる。

私は後者だ。大きく考えると希死念慮があると言えるのだがもう少し細かく考えてみるとそこには違いがある。

最初に感じたのは「死んだ方が楽になる」だった。心が苦しいからそこから逃げる手段のひとつとして死ぬことがあったのかもしれない。楽になるという言葉通り、もし仮にそうしたならという意味合いが強いのでまだ遠いことのように感じていた。希死念慮を感じてから「死んだ方が楽になる」という期間が今のところは一番長いと思う。

次は「死にたい」だった。私は飲み会が苦手でそういう場所には行かないようにしていた。しかし親戚の集まりとか仕事の都合上みたいなもので私の心の強さではどうしても逃げれない場所もあった。そういう場所では頭と心が死にたいを連呼している。緊急アラートが鳴りっぱなしの状態だ。自分でもどうしていいのか分からない。もはやニコニコはできないがどうにか周りに悟られないように取り繕うことで精一杯だった。そんな経験があるから、断るにしても飲み会は誘われただけで死にたいという気持ちにさせられる。参加してしまった時には参加後お家に帰ってからも死にたいが止まらない。その気持ちを誰に向けていいかも分からず最終的に私自身に対して怒りが湧いてくる。少し話が逸れたが死にたいという気持ちは緊急だが嵐のように過ぎ去っていくものでもあった。死んだ方が楽になるとは違って慢性的ではないと言えるのかもしれない。

その次は「死ぬかもしれない」だった。歩道を歩いて隣を走る車を見ても、歩道橋から道路を見下ろしている時も、包丁を使って料理している時も、これはもしかすると死ぬかもしれないという考えが取り除けなかった。自分がそういう手段を取ってしまうのだろうと感じていた。明日が来る感覚もなくなってしまい、今日が最後の日になるのだろうかという感覚になっていた。

そして今は「生きるのは辛いけど死ぬのが怖い」という段階だ。この感情が何を表しているのかよくわからない。ただ、逃げることができなくなったのだと思う。心が壊れてしまったことに向き合って時間をかけてでも組み立て直すことにしたのだと思う。そうするしかなくなったのだと思う。ここからどう回復するのか分からない、そもそも回復するのか分からないけど本当に死んでしまうその時までこの心と身体と暮らしていくよ。

おわり

@misoshirusuki
みんなみんな幸せになりますように