2024.03.17/18 日記

lemon
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03/17

かなり大きな希消念慮に支配されている。希消念慮という名称があるのかは分からないけど希死念慮があるからそう呼ぶことにする。

今私は消えたいという気持ちに支配されている。しにたいわけではない。いずれしぬことにはなると思うけどしにたいわけではない。

私は私をころすことなんてそもそもできないと思うけど、仮にじさつしたとして残された大切な人たちにかなりの迷惑をかけることになってしまうのでその選択肢を取ることはできない。

だから消えたいと思う。失踪したいわけではない。できるなら記憶から私が消えてほしい。書類上の私も全て消して、私が生きた証も消して、私の思い出も記憶から消してもらって、その後に私の存在も肉体も骨まで全て消したい。

長期的に見ると消えることは可能なんだけどそれをできるだけ近い将来で実現したいと考えてしまう。こういう考えに支配されている。

人目のつく場所でしにたいとか消えたいなんて言うもんじゃないなと思っている。その言葉を聞いて恐らく不快な気持ちになったり嫌なこと思い出す人もいるだろうから気をつけるべきなんだと思う。

とはいえ、私の文章をちゃんと読んでいる人がいるかは微妙なところなので自意識過剰な部分もあるかもしれない。だけど人目につく場所に書く以上はその可能性があるのでやっぱり気をつけるべきだよね。

しにたいとか消えたいとか呟いて心配してほしいわけでも同情してほしいわけでもなく、ただそういう気持ちを言葉にしないと内側から爆発しそうな気持ちになる。だからといって他者を不快にしていいわけでもないので難しい。

03/18

この時期は契約やら解約やら色々な手続きが多いなと感じる。普段の生活だけでもギリギリのエネルギーで乗り越えているのでそこに諸々の手続きが重なってくると毎日の暮らしがさらに大変になってしまう。

2月はあんなにたくさんの本を楽しく読めていたのに、3月の前半は1月と同様に本を読むことが難しくなってしまった。なかなか文字が頭に入ってこない状況が続いていた。楽しみのために本を読んでいたはずなのに、とてつもないエネルギーを費やしてしまって逆にしんどいなと思うことが増えてしまっていた。これも生活に負荷がかかっているからだろうなと思っている。

それでも生活を手放すことはできないし、暮らしていかないといけない。そうやって生活を諦めることを先延ばしにしている間に、ひとつめの難所を乗り越えた。

そのおかげか、また少しずつ楽しんで本を読める日々が戻ってきた。本を楽しく読めるかどうかは私の心の安定さを知る目安になっているのかもしれない。

比較的心が安定しているうちにお部屋の片付けを終わらそうと試みた。毎回そうなんだけど、「終わらせるつもりがないのに始めてしまった」という感覚が強い。どうせ散らかして思い出を振り返って、結局捨てれなくて、もとあった場所に戻す作業を行うんだろうなと思いながら片付けを始めた。

数多の捨てる機会を潜り抜けてきた思い出たちを今回のなんとなく大掃除で捨てられるわけがないのだ、なんて言い訳を並べながら思い出を振り返って、もとあった場所に戻していく。

こうして掃除をした気分になって満足感を補充した。

こんな幻想で小さな満足感だって、積み重ねていけば大きくて確かな幸せに変わることだってある。

昨日と今日で気分の高低差がありすぎる。低い部分が酷すぎるのかもしれないけれど差が大きいというのは苦しい。比較的良い日に無理せざるを得なくなってしまう。

気持ちが不安定である状態はとても苦しい。調子がいい日でもやっぱり苦しい。抑うつ状態のせいにしたいけど結局は私の人間性のせいなんだよね。そんな私は存在しない方がいいんじゃないかと、人と関わるべきではないんじゃないかと感じる。しにたい。消えたい。どんな些細な理由でもしんじゃうことなんてあるからここは耐えないといけない。頑張る。

できるだけ気分を安定させたい。

おわり

@misoshirusuki
みんなみんな幸せになりますように