回復しないのも苦しいし、回復する過程も苦しいから結局私は惰性で現状を選んじゃうのかもしれないね。
心が壊れてしまって少し時間が経過した。
時間が経てば次第に良くなると思っていたあの日の私にこっそりと教えてあげたい。
ゆっくり休んだら比例のグラフのように右肩上がりに段々良くなっていくと思っていたんだけど実際はそうじゃないみたい。
私自身だって右肩上がりに良くなると思っていたので他人からすると時間が経過しているのだからもう回復しているだろうと考えてしまうのも無理ないのかもしれない。
そんな周りの声と私の頭の中のよく分からない常識に急き立てられて、もう大丈夫にならないといけないのではないかと思い始めてきた。
時間が経つにつれて休んでちゃダメだみたいな悪魔の囁きが聞こえるのだけれど悪魔が常に間違ってるとも限らない。天使の声が聞こえない今回ばかりは当たっているのかもしれない。治りたいという意思はあるけど治りたいという意志はないのかもしれない。
回復したいとは思いながらも回復に向けた具体的な道のりについてはまだ心と身体がついていかないような感覚があるからそう考えてしまうのかもしれない。
一度大丈夫と言ってしまうと二度とだいじょばないと言えなくなりそうで、心だけ置いていかれそうで、そんな気持ちが大丈夫になる意志を妨げているのかもしれない。
やっと言えた大丈夫じゃないをいつまで抱えていいのだろうか。やっと言えた。やっと言えたんだから大切にするしかないよね?大切にしてもいいよね?それとも大丈夫じゃないという言葉はもっと気軽に使ってもいいのかな?
なんで大丈夫という言葉は嘘をつくほど言えたのに大丈夫じゃないという言葉は真実の一回しか言えないのだろう。
これから私はどうなるのだろう。大丈夫と言ってしまったらもう引き返せないのかもしれない。一度大丈夫じゃない状態から回復して強くなった自分を演じながら大丈夫なふりをして生きていくのだろう。
回復していない状態も苦しいし、回復する過程も苦しいから結局私は惰性で現状を選んでいるのかもしれない。
おわり